注目の投稿

PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2014年4月13日日曜日

PG57 結婚

「この楽しき日々」によれば、アルマンゾとローラは秋に結婚する予定だったのに、姉のイライザ・ジェインと母親が盛大な結婚式を計画していると知って、その前に結婚することにしました。式にはブラウン夫人、アイダ、アイダの婚約者のエルマーが出席。ローラは黒いカシミアのドレスを着て式に望み、ブラウン牧師は、約束どおり、「従う」という言葉は使いませんでした。その後、二人はインガルスの家で食事をして、二人の新居へと向かいました。

「パイオニア・ガール」によると、二人が結婚式をあげたのは、八月二十五日の午前十一時。式には証人としてアイダとエルマーが出席しました。それからインガルスの家で食事をして、新居へと向かっています。
結婚式で着た黒いカシミアのドレスや新居の様子は、細かな描写がありますが、インガルスでの食事の様子はほんのわずかしかありません。
「この楽しき日々」では、インガルスの家を去る哀しみと新しい暮らしへの喜びが半々に描かれていますが、「パイオニア・ガール」では、自分の家を持った喜びの方が強く感じられます。

「小さな家」シリーズは「この楽しき日々」が最終巻となりました。「なぜ続きを書かないの?」と問われたワイルダーは、「悲しいことを書かなくてはならないから」と答えたとそうです。ハッピーエンドで終わらせたかったのでしょう。
でも、ワイルダーは、大人向けの作品の出版にも興味を示したこともあったそうです。おそらくそれが「はじめの四年間」だったのではと推測されています。

「はじめの四年間」は話の上では「この楽しき日々」の続編にあたりますが、 実際に書かれたのは、それよりもかなり前だったとされています。「はじめの四年間」はワイルダーが他界してから発見されたものですが、レインは出版しませんでした。 「はじめの四年間」の挫けそうになるローラではなく、 「小さな家」の強いローラのイメージを守りたかったのでは、と言われています。   でも、 ローズが逝去すると、 弁護士だったマックブライドは原稿を出版社に持ち込みました。 おそらく彼はワイルダーやレインが「小さな家」に込めたメッセージをくみ取れなかったのでしょう。マックブライドの執筆したローズの物語を読むとそう感じることがあります。

その後、 「小さな家」のローラと「はじめの四年間」のローラの違いに気づいたローザ・アン・ムーアの鋭い洞察力によって、 レインが執筆に深く関わっていた事実が明らかになりました。原稿や手紙が公開されたこともあって、 事実と創作との違いや、反ニューディールだったワイルダーの政治見解といった新たな研究が進められることになりました。

「この楽しき日々」と同じように、「パイオニア・ガール」も結婚で幕を閉じます。ですから、この「パイオニアガール」も今回で最後となりました。おつきあいくださってありがとうございました。

2014年4月10日木曜日

PG56 ウィルキンス学校

「この楽しき日々」では、二級教員免許を取ったローラは、ウィルキンス学校で教壇に立つことになりました。下宿をしていたウィルキンスさん一家はいい人たちで、可愛い生徒にも恵まれて、ローラは心から楽しんでいました。
二級の教員免許をとったのは、「もっと大きな学校で、もっとお給料のいいところで教えたいから」と、ローラは説明しています。


でも、「パイオニア・ガール」によると、ウィルキンス学校で教えることになったのは、いろんな事情から高校を卒業ができなかったのと関係があったようです。
また、学校の生徒の一人は、もの覚えがわるく、ローラは相当な忍耐力を強いられました。オーエン先生が痴呆の真似をしている生徒を鞭打って正したのを思い出して、それをちらつかせたこともありました。もっともローラは鞭を打つと思うと、みぞおちが痛んだということですから、そんな気になれなかったようですが。それに、鞭打ちと聞いたとたん、その子は勉強に身が入るようなったので、その必要もありませんでした。


現在では体罰は禁止されていますが、「農場の少年」や「大草原の小さな町」には教師が生徒をむち打つ場面があります。アメリカの書評を読んでいると、体罰について警告していたり、体罰をのぞけば推薦できる本と書いてあるものをみかけるようになりました。なかには「時代遅れだ」というものも読んだことがあります。








2014年4月8日火曜日

PG55 プロポーズ

「この楽しき日々」によれば、アルマンゾがローラにプロポーズしたのは、歌の学校が終わって、馬車で帰宅する途中、星明かりの下でした。「婚約指輪を贈りたい」というアルマンゾに、「誰がくださるかによるわ」とローラが返し、「僕だったら」と問われると、「指輪によるわ」と答えています。そして、次の日曜日にアルマンゾが、ガーネットと真珠の指輪を贈って、二人は初めてキスをしたとなっています。


「パイオニア・ガール」では、婦人会の親睦会を早めに抜け出して帰宅するときでした。「君が婚約指輪を欲しいんじゃないかと思って」ときかれると、ローラは驚いてはっと息をのみ、「誰がくださるかによるわ」と答え、さらに「僕だったら?」と問うアルマンゾに、ローラは素直に「イエス」と答えました。
その晩、家の前で馬車を降りたローラが「おやすみのキスをしてくださらないの?」と尋ねると、初めて二人はキスを交わしました。そしてマンリーと婚約したのか、 それとも星明かりや大草原と婚約したのか、自分でもよくわからないまま家の中に入って行った、となっています。



現代の私たちからみると、堅苦しいおつきあいですが、現代の男女の交際よりもロマンチックな香りが漂っているような気がします。

2014年4月6日日曜日

PG54 独立記念日2

「大草原の小さな町」には、デ・スメットで行われた独立記念日の式典にとうさん、ローラ、キャリーが参加して、ローラが自由に目覚めるくだりがあります。自由と独立は「小さな家」の大きなテーマですから、ローラが自由に目覚めるくだりは大きな意味を持ちます。
この部分はローズ・ワイルダー・レインが手を加えたと言われています。リバタリアンだったレインは個人の自由を唱え、納税は自由の侵害だと、所得税にも反対していました。今、彼女が生きていたら、茶会(Tea Party)の先頭にたって国民皆保険に反対していたでしょう。日本で刊行されているレインの伝記「大草原のバラ」は、ローズを自由主義者と紹介していますが、一般的に日本でいう自由主義者はリベラリストです。ローズはリベラリストではありませんでした。リバタリアンをあえて「自由主義者」と訳したのは、執筆者と訳者の政治的見解なのかもしれません。


また、「農場の少年」の独立記念日の章でも、とうさんが、アメリカの成り立ちと農夫の誇りをアルマンゾに教えています。
「小さな家」シリーズで独立記念日は特別な大切な日と描かれています。


ところが「パイオニア・ガール」では、ウォルナットグローブでの独立記念日の式典にはふれていますが、デスメットでの独立記念日の演説もローラが自由に目覚める話もありません。別の年の独立記念日には触れてはいますが、原作同様ローラとアルマンゾは式典には参加しません。その日の午後、二人は馬車のレースを楽しみ、晩に花火を観に出かけていて、新調したばかりのドレスや、馬のバーナムとスキップの描写が続いています。


「小さな家」にはニューディールに反対だったワイルダーとレインの政治的見解が流れていると言われています。でも、「パイオニア・ガール」の執筆時には、政治的なイデオロギーを埋め込むのを考えていなかったことがうかがえます。

2014年4月4日金曜日

PG53 プライド

ネリー・オルソンは三人の女性を基に創られた創造上の人物なのはよく知られています。その一人にステラ・ギルバートがいます。「この楽しき日々」でアルマンゾとローラたちと馬車のドライブに行ったネリーは、ステラ・ギルバートがモデルになっています。

「パイオニア・ガール」によれば、ステラが馬車のドライブに来るようになったのは、家事を任されて朝から晩まで働いているステラに同情したアルマンゾが、息抜きにと誘ったからとなっています。
ローラは、病気で一日中、ベッドで横になっていたステラが、夜になると元気になってダンスへ行くのを知っていましたが、自分が口を出すべきではないと反対はしませんでした。

でも、何度かドライブに行くうちに、彼女のふるまいに我慢できなくなったローラは、来週も皆でドライブに行こうと言うアルマンゾに、二人のうちどちらを選ぶか決断を迫ります。

「ネリーをドライブに連れて行きたいならそうしてください。でも、私を迎えにこなくてけっこうよ。おやすみなさい」
そういうと静かに家に入ってドアを閉めました。「この楽しき日々」

「パイオニア・ガール」でもほぼ同じように書かれています。「私とネリーとどちらを選ぶの?」なんて迫らないところがいい。こんな風にプライドを保てるローラはかっこいいです。アルマンゾがローラを選んだのも、そんなところに惹かれたのかもしれません。


2014年4月2日水曜日

PG52 コルセット

「大きな森の小さな家」によれば、結婚前のかあさんのウエストは、とうさんの両手にすっぽり入るくらい細かったそうです。そんなに細かったのなら、かなりきつく締め上げていたのでしょう。メアリーは寝るときでさえコルセットを身につけていましたが、ローラはきついコルセットが我慢できませんでした。


「パイオニア・ガール」によれば、ローラはデ・スメットで迎えた最初の春からコルセットを着け始めたといいます。ただし正装するときだけで、それも、きつくは締めあげたりはしませんでした。そんなローラにかあさんは、
「私のウエストは、とうさんの両手にすっぽり入るくらい細かった・・・」
と言って説得しようとしましたが、ローラは、
「私は誰にもウエストを触らせたりなんかしないわよ」と一蹴したそうです。


コルセットをきつく締めると内蔵の位置がずれてしまい、身体に影響を及ぼすため、医師はきついコルセットに警鐘を鳴らしていました。でも、ファッショナブルでいたい女性はきつく締め続けていたといいます。理想のウエストサイズは十八インチだったといいますから、四十五センチくらいでしょうか? 昔のコルセットは現代のハイヒールに通じるところがあるかもしれません。


社会の価値感に疑問を持たないメアリーと疑問を持つローラ。コルセットにも二人の性格の違いがよく表れています。そんなローラですが、バカバカしいと思いながらも流行だからとフープスカートをはいていました。やっぱり女の子ですね。晩年のワイルダーは、昔のファッションだったフープを、呆れたように「樽のようだ」と述べていました。







2014年3月30日日曜日

PG51 月夜のデート

「この楽しき日々」にも描かれているように、日曜日の午後、恋人同士だったローラとアルマンゾはヘンリー湖やトンプソン湖へ馬車のドライブへ行きました。
ある日、二人はボーストさんの家へ立寄り、しばらくして帰ろうとすると、ボーストさんが「月が出てから帰ればいいじゃないか」とひきとめました。この日、真夜中を過ぎなければ、月が昇らないのを知っていて、二人をからかっていたのです。二人もそれを知りながら、月が昇るまで待つことにしました。

気の毒だったのはボーストさん夫妻です。ひきとめた手前、寝るわけにもいきません。疲れて切って目を開けていられず、二人とも椅子で眠り込んでしまいました。果たして、からかわれたのはどちらなのでしょう?
その晩、若い二人は夜中の二時に月が昇ってから、ボーストさんの家をあとにしました。

アルマンゾに送ってもらったローラは家にそっとしのび込むと、居間にはランプがともっていました。それを吹き消して寝室へ行こうとすると、かあさんの声が聞こえました。
「ローラ、今、何時なの?」
するとローラが答えました。
「あら、時計を見なかったわ!」

これがもし事実なら、おちゃめで可愛らしいワイルダーの一面が見えてきます。彼女も今どきの子だったようですね。












2014年3月29日土曜日

PG50 ブラウン夫人

ローラは自分たちの結婚式をあげてくれたブラウン牧師を、不潔で、品がなく、だらしないと嫌っていました。「パイオニア・ガール」によると、ローラはブラウン夫人も好きではなかったようです。教会の出版物の原稿を書くのに忙しくて、身なりにかまわず、家の中も雑然としていると、否定的に描いています。

けれども、後年、農業紙に掲載されたワイルダーのエッセイは、ブラウン夫人の家事能力や身なりを否定的に書きながらも、「文筆家だった夫人は原稿執筆に忙しかったので、一見しただけで判断はできない」といったようなことを、たしか述べていたような気がします・・・・・。


「小さな家」のかあさんは、いつもローラとメアリーに、ファッショナブルではないけれど、きれいに洗濯した服を着せていました。実在のワイルダーも、マンスフィールドのダウンタウンへ出かけるときは、いつも「よそいき」のドレスを着て、きちんとしていたようです。
でも、ワイルダーの娘のレインと小学校で一緒だった同級生は、晩年のインタビューで、レインのことを「だらしなかった」と評していました。アメリカで出版されているものを読んでも、友人に忠告されるほどの浪費家でしたが、彼女はあまり身なりに構わなかったような印象を受けます。

2014年3月25日火曜日

PG49 オーエン先生

出版作品によると、学習発表会の成功によってローラは教員免許を取得することが出来て、ブルースター学校で教えることになりました。
「パイオニア・ガール」では、すでにローラが教員免許を取得して、ブルースター学校での教職を終えてから、学習発表会が開催されています。


「大草原の小さな町」では担任のオーエン先生が、ネリー・オルソンの弟のウィリーを、鞭打つ話があります。ウィリーはワイルダー先生をからかうためにバカなふりを始めたのに、それが直らなくなって知恵おくれのようになってしまい、オーエン先生がお仕置きをしてウィリーを躾なおしたというくだりです。
「パイオニア・ガール」でも同じ話があります。でも、ネリーの弟ではなく、別の人物です。ネリーの弟にしたのは、登場人物が多いと混乱を招くので、それを避けるためだったのかもしれません。


でも、義姉のイライザ・ジェインを辛辣に描いたワイルダーの気質を考えると、別の理由があるんじゃないかと勘ぐりたくなるのは、私だけでしょうか?










2014年3月23日日曜日

PG48 マッキーさんと開拓農地

「この楽しき日々」には、ローラがマッキーさんの奥さんとマッキーさんの幼い娘さんと三人で開拓農地で過ごす話があります。三人は楽しい時を過ごしたようですが、ローラがホームシックになり、かあさんからメアリーの帰省をしらせる手紙をもらったのを機会に、ローラはデ・スメットへ戻ることになりました。そのときローラは、理不尽な開拓農地法を制定した政府を批判しています。

でも、「パイオニア・ガール」には、ホームシックもかあさんの手紙も政府批判もありません。ニューディール政策に反対だったワイルダーは、娘のレインと相談して、政府批判の箇所を加筆したのかもしれません。

マッキーさんのご主人は厳格な長老派の信徒だったので、日曜日には笑うことも微笑むことも出来なくて、ローラたちは聖書や教理問答を読み、宗教的な話をして一日を過ごしました。出版作品のマッキーさんのご主人は、良い人だけど厳格で真面目過ぎる印象がありますが、「パイオニア・ガール」からは、もっと人間らしい、やわらかな印象を受けます。ご主人と宗教的な問題を話していても、同意できなければ、ローラははっきりと意見を述べています。ローラらしいですね。マッキーさんのご主人にとって、今どきの子の意見は頭が痛かったようで、思わず笑っちゃいます。



2014年3月22日土曜日

PG47 呼び名

ゾカート著のワイルダーの伝記によると、アルマンゾとローラがお互いを「マンリー」「ベッシー」と呼び合うようになったのは、ブルースターさんの家に下宿していたローラをピックアップするために、アルマンゾがソリで往復していたときに話し合って決めたとなっています。

ウィリアム・アンダーソン著のワイルダー伝記では、新しい軽装馬車で大草原をドライブしていたときに決めたとされています。

ジョン・ミラーやパメラ・ヒル(「パイオニア・ガール」の注釈を担当している研究者)によるワイルダー伝記によれば、ブルースター学校を終えて自宅に戻ってからもローラとアルマンゾは、ソリのドライブに出かけるようになり、そのときに呼び名を話し合ったとなっています。私の持っている「パイオニア・ガール」も同様です。

ゾカートとアンダーソンの伝記には出典が記されていないので、どこから情報を得たのかわかりません。わかったとしても、どれが事実なのかは永遠に謎です。事実に基づいた話と言われている「小さな家」シリーズですが、呼び名を決める話にこれだけバージョンがあるのは、それだけワイルダーが事実に手を加えているからとも言えるでしょう。

ワイルダーと夫のアルマンゾとは、実際には十歳違いでした。でも、出版作品では誤解を避けるために、その差が縮まっています。「パイオニア・ガール」でも同様です。「パイオニア・ガール」は自伝とか回想録と言われていますが、はたしてどこまでが事実なのでしょう?

2014年3月19日水曜日

PG46「この楽しき日々」

「大草原の小さな町」によると、まだ十五歳のローラが教職につけたのは、学習発表会での成功がきっかけで教員免許を取得したからとなっています。
でも、「パイオニア・ガール」では学習発表会の話はありません。教壇に立っている時に下宿していた家も「ブルースター」ではなく、本名の「ブチー」のままです。本名だとさしさわりがあると思って、出版作品では仮名にしたのでしょう。


「この楽しき日々」の下書き原稿(「パイオニア・ガール」ではない)では、毎週、アルマンゾがローラを学校まで迎えに来て、ローラは週末を家で過ごす話があります。そのときローラは、「家に帰りたいからソリに乗せてもらっているだけで、家に帰ったらもう乗ることはありません。寒くて長いドライブはやめてもらってもかまいません」とアルマンゾに告げます。でも、その週末にアルマンゾはいつもどおりローラを迎えに来ます。つまりローラの言葉はあまり重要な意味を持ちません。
「パイオニア・ガール」でも同じです。


けれども、出版された「この楽しき日々」では、ローラがアルマンゾに告げたその週にブルースター夫人が包丁を振りあげる事件がおきて、その週末は厳しい寒さの日となり、アルマンゾが迎えに来るかどうか、読者がドキドキしながら話が進んで行きます。ワイルダーは文学的効果を狙って、話を創り変えたのです。
「小さな家」シリーズが「本当の話」と信じられていた1970年代、ある研究者はこういった違いを一つ一つ探り出して、「小さな家」が創作であることをつきとめました。


刊行以来、「小さな家」が「本当の話」と四十年以上も信じられていたのは、あの作品が神聖視されていたからです。神聖化された「小さな家」は、

1.「小さな家」は本当の話、
2.「小さな家」のローラと作家のローラは同一人物、
3. 本当の話だから「小さな家」はアメリカ史

という三つの神話に包まれていました。どれも虚偽に過ぎません。
現在、あの作品は創作であると学術的に認められていますが、その神話はアメリカ人の心の中に脈々と生き続けています。
日本でも「本当の話」「同一人物」の神話は読者の間に根強いようですが、アメリカ人とは別の理由からのように見受けられます。





2014年3月16日日曜日

PG45 初デート

アルマンゾとローラが二人で時を過ごすようになったのは、信仰復興集会の帰りにアルマンゾがローラに家まで送らせて下さいと、声をかけたのが始まりでした。ローラは家族と、アルマンゾは兄のロイヤル、友人のキャップ、オスカーと一緒に教会に来ていました。でも、ローラが気になっていたのは、アルマンゾではなく、キャップでした。

ゾカートの伝記によれば、オスカーがアルマンゾにローラの後ろにいた女の子に声をかけて、家まで送らせてもらえるかどうか賭けをしようともちかけたけれども、オスカーはどの女の子とはっきり言わなかったので、アルマンゾは別の女の子だとわかっていながら、わざと間違えてローラに声をかけて賭けのお金をせしめた、となっています。

おそらくゾカートは、その部分を「パイオニア・ガール」から引用したのだと思いますが、私が使っているジョージ・バイ版の「パイオニア・ガール」には、その記述はありません。たぶんゾカートはカール・ブラント版の「パイオニア・ガール」を使ったのかもしれません。
今度出版される注釈付きの「パイオニア・ガール」では、二つの「パイオニア・ガール」の違いなども指摘してくれるかもしれません。


アルマンゾに賭けを持ちかけたオスカーはなかなかのハンサムだったようです。「パイオニア・ガール」には、彼のロマンチックな悲しい話も載っています。
また、ローラが気になっていたキャップは、二十代半ばに、農作業の機械の事故で亡くなりました。当時、農作業の機械は性能に問題のあるものが多く、事故は珍しくありませんでした。
「長い冬」によれば、キャップはアルマンゾと一緒に小麦を買いに行ったことになっていますが、キャップの親戚筋にあたる人は「行ったとは思わない」と、ある講演会で述べていました。

2014年3月14日金曜日

PG44 年頃の娘2

アルマンゾと親しくなる前に、ローラが一緒に出かけた男性には、アーサー・ジョンソンやアーネスト・ペリーがいます。アーサーは教会の帰りに家まで送ってくれただけですが、アーネストとは二回ほど遊びに出かけていて、ダンスやゲームをして、楽しいときを過ごしました。ローラはキスゲームは苦手だったようですが、アーネストを嫌いではなかったようです。

邦訳のジョン・ミラーの評伝では、「二回目のデートのとき、アーネストが抱きしめようとした」ので、ローラはつきあうのをやめたと訳されていますが、原文を読むとちょっとニュアンスが違うように思います。それに「パイオニア・ガール」にもそんなことは書いてありません。腕が触れたがきっかけで、アーネストと出かけなくなったのは確かですけれども。
アーネストはローラを忘れられなくて、長い間、独身だったそうです。小さな町ですから、ローラとアルマンゾの噂を耳にしたときは、いたたまれなかったに違いありません。



2014年3月12日水曜日

PG43 年頃の娘

「パイオニア・ガール」によると、デ・スメットの若い弁護士のアルフレッドは、ローラに気があったようで、その日の晩の文芸会に一緒に行きたくて、インガルスの家を訪ねました。でも、彼は女性の扱いに慣れていないらしく、正面切って誘うことが出来ないほど純情だったようで、とうさんに「今晩の文芸会にいらっしゃいますか?」とやっとの思いで尋ねました。もちろんとうさんは、彼のお目当てがローラだとわかっていますから遠慮して、「行きません」と答えました。
年頃の娘だったら、「私と出かけたいんだな」くらい察しがつきそうなものだと思うのですが、どうやら、ローラは違ったようです。ほんとうは文芸会を楽しみにしていたのに、とうさんが行かないなら私も行かないと、「行きません」と答えてしまいました。

アルフレッドが帰ったあとで、とうさんが笑いながら、「おまえを誘いに来たんだよ」と言いました。そのときのローラの反応が、いかにもローラらしいです。

「だったらうじうじ言ってないで、はっきりそう言えばいいのに」

ローラのような我の強い女性には、アルマンゾのような腹の据わった男じゃないと無理でしょう。だから、たとえ一緒に出かけたとしても、この二人は合わなかったでしょうね。それにしても、ホントにローラって色気がナイです。


ワイルダー研究者のジョン・ミラーはワイルダーの評伝で、ワイルダーはかかあ天下で夫をコントロールしていたみたいなことを言っているけれど、「そうかなあ〜?」と思った。もしもそうなら、「はじめの四年間」のような作品は生まれなかったんじゃないのかな? エッセイを読んでも、ワイルダーがどれほど夫を信頼して尊敬していたか、しみじみと伝わって来る。表面上はかかあ天下に見えても、二人は対等の関係で、ワイルダーは夫に負うところが大きかったように思います。



2014年3月10日月曜日

PG42 女としての勝ち負け

「パイオニアガール」には、出版作品同様、見知らぬ人たちに会うのが苦手なローラが、初めて学校へ行ったときの不安が記されていて、その後に、ブラウン牧師の養女のアイダや、洋装店の娘のメアリー・パワーといったクラスメイトの紹介が続いています。
そのうちの一人にネリーのモデルになったジェネヴィーヴ・マスターズがいます。ジェネヴィーヴ・マスターズは、ネリー・オルソンのモデルになった三人の女性の一人です。ドラマでも有名になったネリー・オルソンは実在の人物ではなく、ネリー・オーエン、ジェネヴィーヴ・マスターズ、ステラ・ギルバートの三人をモデルに創り上げた人物です。
「大草原の小さな町」では、学校で再会したのはネリー・オルソンになっていますが、実際にはジェネヴィーヴ・マスターズだったようです。
「大草原の小さな町」でも「パイオニアガール」でも、ローラはネリー(ジェネヴィーヴ)がクラスに入って来ると、ドレス、肌の色、体型などをすばやく観察して、自分と比較しています。いずれの版でも、ずんぐりむっくりのローラは、女としてネリーに負けたように感じていたようで、オンナというのは、いつの時代でも、どこの国でも、似たようなものなんだなあ、とつくづく思います。


また、ワイルダー先生にしても、キャリーに椅子を揺するよう命じるなど、出版作品と似たような軋轢が描かれています。
晩年、ワイルダーは、義姉のイライザ・ジェインが嫌いだったと告白しています。まあ、日本でもよくある嫁と小姑との軋轢でしょうが、それを作品に書いちゃうところがすごい。アルマンゾは何も言わなかったんだろうか? 
我の強い二人だから、気が合いそうもないのはわかるけど、実在のイライザはワイルダーの娘に良い教育を受けさせるために、自分の家に彼女を引き取って面倒をみてくれたんだから、かなり良くしてくれたと思う。だから、そこまで辛辣に書くこともないのでは・・・・と思うけど、しっかり書いちゃうところが、ローラ・インガルス・ワイルダーという人物を物語っていると思います。






2014年3月7日金曜日

PG41 アルマンゾとの出会い

「長い冬」によると、アルマンゾとローラが出会ったのは、ローラとキャリーが町へ買い物へ行った帰りに近道をしたら、干し草を積んでいるワイルダー兄弟にあったとなっています。でも、「パイオニアガール」では別の機会に出会ったとなっています。


実在のアルマンゾは、ワイルダーよりも10歳年上でした。ワイルダーは執筆の際、幼な妻と間違われるのを憂慮していたので、アルマンゾの年齢が出版作品で引き下げられているのは、そういう理由かもしれません。
ワイルダーとアルマンゾが一緒に出掛けるようになったとき、二人は15歳と25歳で、今なら問題になりかねませんが、当時のデ・スメットの人口は百人あまり。男女が出会える機会も限られていましたし、アルマンゾはワイルダーの中に、年齢よりも大人びたものを感じていたのかも知れません。また、当時の16歳は、もう子どもではなくレディ扱いでした。
ですからシリーズを執筆中、レインはワイルダーに、「今の子供たちは昔と違って精神年齢が低いからそれを念頭において執筆するように」とアドヴァイスしていました。

2014年2月24日月曜日

PG39 自然のある暮らし

長い冬の危険が去ると、とうさんは町の家を売って、インガルスは開拓農地へと移りました。「パイオニアガール」からは、農地での暮らしに戻ったときの喜びが伝わってきます。町の生活は仮住まいで、ローラは心から自然を身近に感じる暮らしを愛していたんだな、としみじみと感じます。


出版作品では、インガルスの開拓農地の周りには、誰も 住んでいないかのように描かれていますが、実際は、近隣には何人かの入植者がいて、おつきあいがありました。とうさんが現金収入をえるために働いているときは、雇人に農地を任せたりしています。出版作品で近隣の人々を割愛したのは、インガルスを孤立させて、独立自尊を強調するためだったとある研究者はみています。


いずれにしても、ローラは入植者よりも、大自然に生きる動物や植物とのほうが、相性がよかったようです。出版作品同様、「パイオニアガール」でも、大草原に咲き乱れる花々や、ガーターヘビ、ゴーファーといった小さな生きものが、いきいきと描かれています。
自然に興味のない人には、ただの何もない空間が、ローラの眼を通してみると、不思議に満ち溢れた美しい空間となって、映画のように映し出されます。


普通の人が見過ごしてしまうようなありふれたものにも、ワイルダーは目を配っていました。その鋭い観察眼が、彼女特有の緻密な描写を生み出したのでしょう。

PG40 ブラックバード

「大きな森の小さな家」には、月曜日には洗濯、火曜日にはアイロンかけ・・・というように、かあさんの、一週間の家事の予定が描かれています。
同じような予定が「パイオニアガール」にもありますが、かなり後半になってからで、予定表以外にも家畜の世話や菜園の手入れも綴られています。子どもたちが家の仕事をするのは当たり前で、毎日、かあさんと娘たちが、忙しく働いていた様子が伝わってきます。


小さな家シリーズはおいしそうな話でいっぱいですが、ブタの尻尾とならんで美味しそうなのがブラックバードのパイです。トウモロコシ畑を荒らしたブラックバードの大群を、インガルスがパイにして食べてしまう話は「パイオニアガール」に出てきます。ブラックバードパイは美味しかったようですが、「パイオニアガール」にはパイそのものの描写がないので、読んでいても、出版作品ほどおいしそうではありません。


出版作品では、ブラックバードの大群のせいで、とうもろこしの収穫がなくなってしまい、仔牛を売ってメアリの盲学校の費用に充てたことになっています。でも、これはワイルダーとレインの創作の可能性があります。
実在のメアリの盲学校の費用は、ダコタ政府が負担してくれました。最初、ワイルダーはそれを正直に書いたのですが、 ワイルダーもレインもニューディールに反対で、政府に頼らないのをモットーにしていたこともあり、その部分は削除されました。
「パイオニアガール」にはブラックバードの大群でトウモロコシの収穫がダメになったことと、ブラックバードパイがおいしかったこと、ローラが縫い子をして稼いだお金が盲学校進学に役に立ったことには触れていますが、仔牛を売って盲学校の費用を捻出する話はありません。二人は政治的な主張をするために、鳥による被害と盲学校の費用を結び付けて、話を創り上げたのかもしれません。「パイオニアガール」にどんな注釈がつくのか楽しみです。


 インガルスの畑は何種類ものブラックバードが襲いました。これはその一つで、パイにされました。大草原のブラックバードパイもどきの作り方はこちらでご覧になれます。

2014年2月23日日曜日

PG38 インディアンの墓あらし

「大草原の小さな家」にはインディアンがときの声をあげて、移住者との間に緊張が走る話がありますが、同じようなことがデ・スメットでもありました。インディアンの赤ん坊のミイラに興味を持った医師が、調査のために遺体を盗んだからです。遺体が両親のもとに戻るまでの間、毎日、インディアンはときの声を上げ、武力での解決も辞さないと、威嚇行為に出たため、移住者との間に高い緊張が走りました。


ミイラを盗んだ本人はとっくに逃げてしまったので、 迷惑をこうむったのは残された人たちでした。まったく関係のないのに、白人と言うだけで、武力衝突に巻き込まれそうになったのですから。
でも、赤ん坊が無事に戻ると、インディアンたちは誰も傷つけずに居留地へと引き返しました。


ワイルダーはダコタからミズーリへ向かう旅の途中、美しい川をみて、「わたしがインディアンだったらもっと白人の頭の皮をはいでやるのに」と、旅日記に記しました。インガルスを含めた白人の移住が、インディアンを追い詰めていたのを理解していたと読み取れる発言です。
それから数十年後、ワイルダーは西部開拓を担った人々の誇りを描いた作品を出版しました。作品中で、自由と独立を高らかにうたったワイルダーは、移住者の自由は先住民の犠牲の上に成り立ったものだと気づいていたはずです。小さな家を執筆しながら、彼女の胸には、どのような思いが去来していたのでしょうか?


2014年2月21日金曜日

PG37 長い冬

七か月も続く長い冬の間、インガルスは町の家で過ごしました。「パイオニアガール」によると、その家にはジョージとマギーという若い夫婦と生まれたばかりの赤ん坊が同居していました。出版作品ではこの夫婦は割愛されています。この二人はできちゃった婚でした。


ジョージは、ローラの先生だったサム・マスターズの息子でした。サムは女の子の手を握る癖のある先生で、その息子ですから、どんな人間だったかは推して知るべし。猛吹雪に閉じ込められ、食糧も乏しくなったとき、その人間の本性があらわれます。ジョージは同居するには好ましい人間ではなかったようで、同居人というよりも、「金を払うのだから」と間借り人のようなふるまいをしていました。「パイオニアガール」には、彼のふるまいや批判が詳しく述べられていて、どうやらローラは彼に切れたようです。


それと同時に、「パイオニアガール」には、デ・スメットの人々が、長く厳しい冬の間、協力しあい、普段と同じように快活に過ごしていて、けっして挫けず、大きなトラブルもなかったことも、誇らしげに述べられています。それに愛する女性のために吹雪をくぐりぬけた男性の悲劇も描かれています。


手元に資料がないので、はっきりとは言えないのですが、その長い冬の経験者の一人は、デ・スメットでは吹雪の合間をぬって、近くの町へ食べ物の買い出しにいき、皆で分けたと、後年、語っていたはずです。この買い出しは、アルマンゾとキャップが買い付けた小麦とは別の話だと思いました。


「長い冬」では汽車が雪に埋まる話があります。こちらでその写真が見られます。

2014年2月20日木曜日

PG36 芝土の家

インガルスがデ・スメットで建てた開拓小屋は木造ですが、デ・スメットのような森や林のない大草原では、芝土の家が一般的でした。芝のびっしりとからみついた土をブロック状に伐り出して積み上げたもので、室内が暗いのが難点ですが、冬は暖かく、夏は涼しかったようです。デ・スメットのインガルスの納屋は芝土で出来ていました。


「パイオニアガール」にはその芝土の家の作り方が記されていて、当時のダコタで、よくうたわれていた歌がそれに続いています。
 大草原では、竜巻、野火、吹雪、バッタ、野性動物、泥棒、殺人、詐欺、借金といった、ありとあらゆる難題に直面しましたが、その一つに孤独がありました。人と滅多に会わずに風の吹きすさぶ大草原に暮らしているうちに、精神を病む人も少なくありませんでした。
その歌は、 孤独な大草原の芝土の家で、厳しい現状を受け入れて、懸命に生きようとする人々の心情を歌ったもので、ユーモラスに自嘲的に歌っているだけに、感じ入るものがあります。
音楽家が作ったのではなく、人々の間で自然に歌われるようになった感じがします。
 ワイルダーは、「開拓魂とはユーモアと明朗さ」といっていました。この歌にはその開拓魂があふれています。こういう歌をうたえる人々だけが、西部で生き残れたのでしょう。


長い冬の間、インガルスは干し草の棒をよじって暖をとりました。その歌には干し草の棒も出てくるので、ひょっとしたら、この歌は出版作品でも使われているのかもしれません。
もしそうなら m(_ _)m。


芝土の家の写真はこちらでみられます。

2014年2月18日火曜日

PG35  春のラッシュ

「シルバーレイクに岸辺で」には、春のラッシュが始まり、インガルスの暮らしていた測量技師の家がホテル代わりになって、入植者を迎える話があります。「パイオニアガール」によると、かあさんの右腕だったローラは、おさんどんだけでなく、メアリの面倒もみたりして、ほんとうにクタクタになるまで働いていたのが十分過ぎるほどに伝わってきます。
いくら春と言ってもまだ雪があるくらい寒かったので、入植者を外へ放り出すわけにはいかなかったこともあったのでしょう。現代は満室ならホテル側は冬でも客を断れますが、 昔は断りませんでした。凍え死んでしまうからです。インガルスが入植者をみな受け入れたのは、そういう事情があったのかもしれません。


デ・ スメットの町ができる前、ウォルナットグローブの教会の牧師だったオルデン牧師はシルバーレイクにやってきて、インガルスの暮らしていた測量技師の家で礼拝をおこなってくれました。そのオルデン牧師の紹介で、新しく出来たデ・スメットの町へやってきたのが、ブラウン牧師でした。
ブラウン牧師は、数年後に、ローラとアルマンゾの結婚式をあげてくれた牧師です。でも、不潔で、品がなく、だらしなくて、ローラは嫌いでした。ブラウン牧師は教会を組織するためにやってきたと思われていましたが、「パイオニアガール」によると違ったようです。
現在の北米では聖職者のトラブルやスキャンダルがあとをたちませんが、昔も似たようなものだったようです。ちなみに実在のオルデン牧師は、妻子を捨てて駆け落ちしたそうです。


春のラッシュには土地泥棒もやってきました。「シルバーレイクの岸辺で」には、土地泥棒に開拓農地を盗まれないように、インガルスが開拓農地へ引っ越す話があります。そうしたのは、入植者の一人が、彼の開拓小屋に潜んでいた土地泥棒に殺されたからです。「パイオニアガール」には、そうなった経過や犯人への憤りも描かれています。








2014年2月16日日曜日

PG34 シルバーレイクで

「シルバーレイクの岸辺で」には、冬の訪れとともに鉄道の飯場が取り壊されて、誰もいなくなったシルバーレイクの測量技師の家で過ごすインガルスの暮らしが描かれています。


同じような話が 「パイオニアガール」にもあります。ローラとキャリーが月夜の晩にオオカミに出くわしたのも、ボーストさんと過ごしたクリスマスや新年のお祝いも、チェッカーを楽しんだのも、みな同じです。
測量技師の家で過ごした冬、インガルスはとうさんのバイオリンに合わせて、たくさんの歌を歌いました。とうさんの好きな曲Sweet By and  Byもその一つです。この讃美歌が、とうさんの葬式で演奏されたのはよくしられていますが、その情報元は「パイオニアガール」のようです。


 原作と異なっているのは、原作ではシルバーレイクの辺りには、インガルスしかいないのに、実際には何人かの入植者がいて、インガルスの暮らしていた測量技師の家には、独身の男性が同居している点です。「長い冬」でも同居していたカップルが割愛されています。ある研究者は、ワイルダーやレインが、独立や自由を強調するために、故意に同居者を省いたとみています。


小さな家シリーズの創作に関与したローズ・ワイルダー・レインがリバタリアンだったこともあり、小さな家はアメリカのリバタリアンに大きな支持を得ています。長い間、日本では、小さな家は「理想の家族」と捉えられてきたのに、最近はリバタリアンと結び付けて見られるようになったのは、興味深いです。


Sweet By and Byはこちらで視聴できます。これはミズーリ州マンスフィールドのワイルダー記念館で開かれた演奏会で、とうさんのバイオリンで演奏されました。











2014年2月14日金曜日

PG33 鉄道の飯場

「シルバーレイクの岸辺で」には、とうさんが工夫たちに給料を払うように詰め寄られて、緊張感が走る話があります。「パイオニアガール」にもそれと同じ話がありますが、それ以外にも、飯場でおきたさまざまなトラブルが原作よりも生々しく描かれています。


馬泥棒やら給料交渉やらで、現場には一触即発の緊張感が漂っていました。ハイラムおじさんたちも、鉄道会社の汚いやり口に対して、それなりのやり方で対抗したようです。だましあいは日常茶飯事だったようですが、そういうことは出版作品では描かれていません。


中でも光っているのはビッグジェリーです。彼はテネシーの山猫のエドワーズさんみたいです。彼がやってくると、必ずいいことがあるからです。少なくともインガルスにとっては。ネリーオルソンのような「東部」の男を、イタイ目にあわせたりして痛快です。身体のがっちりしたイイ男だったようで、出版される「パイオニアガール」にどんな注釈がつくのか、楽しみです。

2014年2月12日水曜日

PG32 かあさんとインディアン

1990年代はポリティカル・コレクトの時代ということもあり、小さな家の先住民の描写が問題になりました。とくにかあさんは先住民をあからさまに嫌っていたので、批判の的でした。でも、実在のキャロライン・インガルスは、ほんとうにインディアンを毛嫌いしていたのでしょうか?


「シルバーレイクの岸辺で」には、インガルスが幌馬車でシルバーレイクへ向かう途中、白人とインディアンの混血のビッグジェリーがインガルスたちのあとをついて来る話があります。とうさんは「怪しい奴がいても、ジェリーがいれば大丈夫」と安心するのに、かあさんはインディアンの血が混ざっているというだけで、彼を信用しません。そのときかあさんは、インディアンを「吠えたける野蛮人」と呼んでいます。


でも、「パイオニアガール」にはそのような描写はありません。それどころか、インガルス一家とビッグジェリーは親しかったようです。
「長い冬」でもかあさんがインディアンを嫌う描写がありますが、下書き原稿(「パイオニアガール」ではない)にはありません。作品を面白くするために、ワイルダーはかあさんをインディアンを嫌う人物に創りかえた可能性があります。
作品のかあさんと実在のキャロライン・インガルスは同一人物ではないとわかっていても、それを知って、ホッとしたり安心したりする読者も多いのではないでしょうか?


アメリカでは、先住民の描写が糾弾されると、白人側は、「かあさんはあの時代を反映しているに過ぎない。今の基準で批判するのはおかしい」と反論してワイルダーを擁護しています。それはもっともですが、そう擁護している人のほとんどは、自分の落度をワイルダーに責任転嫁しているだけだと思います。

なぜなら、彼らは白人の視点でしか小さな家を読んでこなかったからです。先住民側が声を上げる前に、先住民の視点で作品を読み、彼らに配慮する発言をしていたら、先住民側がこれほど憤ることもなかっただろうに、と思います。ワイルダーを擁護する前に、自分たちの落度を認めるほうが先なのではないでしょうか? 先住民問題が表面化したとたん、それまでまったく無関心だった研究者や読者が、「私はこのように読んでいます云々」ともっともらしく言っているのを聞くと、(゜▽゜;) と思ってしまいます。


最近は、白人側も先住民の視点を考慮するようになりました。それは喜ばしいですが、白人側の人々から自分たちの落度を反省する言葉を聞いたことはありません。ポリティカルコレクトに合わせているだけの人もいるのでしょう。
多民族国家のアメリカは、人種や民族間の緊張の上に成り立っている社会です。ロナルド・レーガンのような、とりわけ「白い」大統領が当選したら、どのような動きが出て来るのでしょうか?
 




2014年2月11日火曜日

PG31 汽車の旅


「シルバーレイクの岸辺で」には、ローラたちが汽車でトレイシーまで旅をして、とうさんと再会する話があります。
この汽車の旅を腑に落ちないと感じている人は少なくありません。私もその一人です。というのは、デ・スメットとトレイシーは、ほんとうに近くて、わざわざ汽車でいく必要があるのか疑問だからです。
そのときチャールズ・インガルスは鉄道会社で働いていたので、割引か無料の切符を手に入れたのかもしれないと、推測している人たちもいます。


同じ話が「パイオニアガール」にもありますが、残念ながら、何も書いてありません。


ワイルダーは幼いころは幌馬車と汽車で、晩年は車と飛行機で旅をしました。その中でいちばん好きだったのは言うまでもありません。好き嫌いは利便性だけではなかったようです。


トレイシーから幌馬車の旅を続けて、インガルスはドーシアおばさん一家と合流しました。「パイオニアガール」には、「シルバーレイクの岸辺で」と同じく、ローラはいとこのレナとジーンとはだか馬に乗り、馬車で洗濯物を取りに行く話が描かれています。黒髪のレナは、ローラよりほんの少しだけ年上なのに、歳よりも大人びていました。野生的で美しいレナに、ローラは惹かれるものがあったのでしょう。レナと一緒のローラは、のびやかで、力強く、野性的な美しさを持った西部の女の子です。

2014年2月10日月曜日

PG30 お手伝いのない日

「パイオニアガール」を読んでいると、まだ小学生なのに働きづめだったローラが見えてきます。バーオークではかあさんを手伝って、ホテルで給仕や皿洗いをしました。ウォルナットグローブにもどってからも、マスターズさんの奥さんに頼まれて、ホテルで配膳や下ごしらえや子守をしました。病人の介護をするために、住み込みで働いていたこともあります。そのときホームシックになったローラは、神の存在を感じたと告白しています。


メアリーが失明してからは、かあさんの右腕になって、かあさんの手伝いをしたり、メアリーや妹たちの面倒をみました。とうさんが鉄道の仕事を得て、ダコタへ行ってしまうと、残されたかあさんとローラは荷造りに追われる忙しい毎日が続きました。
そんなある日、ローラはかあさんから、お手伝いのない日をプレゼントされました。とっても楽しかったようで、ともだちと遊んだだけのごく平凡な日だったのに、まるで特別な日だったかのように描かれています。かあさんは、ローラがどんなにしっかりしていても、子どもでいられる時間が必要だとわかっていたのでしょう。


そういった何気ない気遣いから、かあさんの思いやりの深さと、子どもを守れる成熟した大人を見る思いがします。

2014年2月8日土曜日

PG29 男の子をめぐる争い

たいていクラスには、気になる男の子が一人か二人いて、その子をめぐって、クラスの女子がキャーキャーやるものですが、これって世界共通です。「パイオニアガール」によると、ウォルナットグローブの学校でも、似たようなことがあったようです。


でも、ローラは女の子たちが騒いでいても、一歩引いているような感じがします。クラスメイトとしてその子に好意をもっていても、異性として意識していないというのかな。男の子の気を引くようなことをしても、それはネリーやジェネヴィーヴのいいようにはさせたくないからで、男の子に気があったわけじゃない。冷めているともいえますが、はっきりいうと色気がない! 


「パイオニアガール」」でもネリーやジェネヴィーヴは、原作のネリー同様、美しいドレスをきた可愛らしい女の子として描かれています。
ローラは、女のフェロモンをふりまいている女の子が嫌いだったけれど、ネリーたちを嫌ったのはそれだけではないような気がする。


「大草原の小さな町」でネリーと再会した時、ローラはすばやくネリーの容姿を観察しています。ローラは美しいネリーに対して、女としてのコンプレックスがあったんじゃないかなあ。金髪のメアリにあったように。「ネリーオルソン」という人物を生み出した原動力には、女としての嫉妬やねたみもあったように思います。

2014年2月7日金曜日

PG28 メアリとかあさん

ローラはおてんばで、外で飛び跳ねるのが好きだけど、メアリーはおとなしくて、家で手芸をしているのが好き、というのが原作からの印象です。それは「パイオニアガール」でも同じです。


でも、メアリーってホントにおとなしいかったのかな? 縫い物や編み物が好きだからといって、女らしいとか、おとなしいわけじゃない。 ただ単に、当時の習慣や価値観に従順だっただけ、という気もする。
「パイオニアガール」によると、メアリーは十三歳のローラが男の子たちと雪合戦をしているのをみて、「女らしくない」とローラの髪をひっつかんで止めようとしたり、ローラがやめないとかあさんに言いつけたりしました。ローラはそんなメアリーを「告げ口屋」と呼んでいました。
メアリって、きれいで頭が良くて、親のいうことを聞く良い子で、どうすれば親が喜ぶかを知っていて、ローラもそれに気づいていました。メアリって失明しなかったら鼻持ちならない女になっていたような気がする。失明してからのメアリの方が好感が持てます。


十九世紀の女性の体型は、砂時計のような細いウェストが理想でした。当時の「今どきの女の子」は、男性を射止めるために、ウェストを細くしようと必死だったそうです。結婚すると母親や妻としての役割を求められたけど、「今どきの女の子」たちは、女であることをあきらめようとせず、頭を抱える男性もいたそうです。
ローラのかあさんも、独身時代はとうさんの両手がまわるくらいウェストは細かったから、「今どきの女の子」だったのかも。結婚してから妻と母親に専念したかあさんは、「今どきの価値観」にも従順でした。


きつく締めすぎると内臓の位置がずれてしまい、健康を損なう危険もあるのに、メアリは寝る時もコルセットをつけていました。ローラは我慢出来なくて、寝るときははずしていました。かあさんはそんな娘を心配していました。三人の女性の生き方がコルセットから見えてきます。
ある学者さんは、今の女性はジムにいったりダイエットして、目に見えないコルセットをつけている、と述べていました。ハイヒールも人気があるし、昔とあまり変わっていないのかもしれません。



学生時代、児童文学研究会のメンバーだった男の子は、メアリやかあさんのファンでした。彼の理想の女性は知的美人で、「女性とは対等の関係が良い」とも言っていました。
まだ二十歳そこそこだった私は、彼を進歩的な人と思っていたけど、今にして思うと、対等に知的な会話ができて、男性優位社会の価値観に従順だったメアリとかあさんは、たんに都合がよい女だったという気がする・・・・・・・と、先日、友だちに話したら、「日本の男なんて保守的だから、そんなもんじゃないの」と返ってきました。たしかに。



2014年2月6日木曜日

PG27 ネルソンさん


プラムクリークで隣人だったネルソンさん夫妻は、とうさんが居ないときに郵便をとってきてくれたり、火の輪から家を守ってくれたり、病気のかあさんのために医師を呼びにいってくれたりと、いつもインガルスに親切にしてくれました。たった一つだけ気になるところをあげれば、ローラの大切な人形のシャーロッテを誘拐して、水たまりに放置した件でしょうか? 
でも、ネルソンさんは、一貫して、真面目で、きちんとした人に描かれています。


ところが、「パイオニアガール」を読むとそうでもなかったみたいです。夫婦そろって、テネシーの山猫のエドワーズさんみたいな感じかな。エドワーズさんて唾をはいたり、ウソをついて税金をごまかしたりしていたけど、いかにもそういうことをしでかしそうなお二人です。 ネルソンさんの奥さんは威勢のいい母ちゃんで、ダンナさんは飲んだくれのダメ男みたいな印象を受けます。


でも、そんなネルソンさんですが、インガルスはとても感謝していました。そういう人たちともやっていかれるインガルスの柔軟性も印象的です。

2014年2月4日火曜日

PG26 男女のゴシップ

まだ十一、二歳のころ、ローラはホテルで皿洗いや給仕の仕事をしていました。「パイオニアガール」にはそのときローラが見聞きした三角関係の男女のもつれによる悲劇が描かれています。その人たちに対するローラの印象を読むと、子どもながらに女特有のいやらしさにも気づいており、幼いころから鋭い観察眼を持っていたのがわかります。細かいことは知らなかったようですが、大人の世界にも好奇心旺盛で、いつも耳をそばだてていて、あれこれ思いめぐらしていたようです。


「あれ?」と思ったのは、両親もそのゴシップを知っており、それをローラの前でも話していたような印象をうけるのです。ふつう、子どもの前で、男と女の生々しい関係は話さないと思うのですが。とくに原作のかあさんのイメージからは。ひょっとしたらローラが、偶然耳にしてしまったのかもしれませんが、「パイオニアガール」のほかの箇所を合わせ読むと、両親はけっこうあけすけに話していたのかな、と思います。


とうさんは治安判事をしていて、インガルスの家が法廷代わりになりました。とうさんが判事になるときは、家族は奥に引っ込んでいましたが、ローラは男をめぐる女の復讐などのゴシップを盗み聞きしていました。ほかに行くところがなかったから聞こえてしまったのかもしれないけど、かあさんは何も言わなかったのかな~? かあさんも一緒に聞いていたみたいで、人間くさくて笑っちゃいます。 ワイルダーがハッピーな結婚生活を送っていたのは、こういったゴシップで男を見る目が養われたのかも・・・・・・・?


「パイオニアガール」はいくつものゴシップにあふれていますが、ワイルダーはこういった話を出版作品には書きませんでした。伝記作家のゾカートも同様です。どちらも幼い「小さな家」の読者に配慮したのでしょう。
北米では数十冊にも及ぶワイルダーの伝記が出版されているのに、このようなゴッシプをローラが知っていた、書いていた、ということは、ほとんど取り上げていません。エッセイ集も何冊も出版されていますが、人気のあるエッセイ集には、ワイルダーや「小さな家」のイメージにそぐわないものは含まれていません。現代のアメリカでワイルダーは西部開拓の象徴でアメリカのヒーローです。子どもたちに配慮するだけでなく、ワイルダーの聖なるイメージを壊したくないという編纂者や執筆者の心理も働いているのでしょう。


でも、私はそんな創られたワイルダーではなく、生身の彼女を知りたいです。邦訳されていないエッセイ集や研究書などを読むと、エネルギッシュで野心家で、ひとクセもふたクセもあるローラインガルスワイルダーという人間が見えてきて、何倍も興味深いです。




2014年2月3日月曜日

PG25 日曜学校のピクニック

ゾカートの伝記には、ウォルナットグローブに居たときに、ローラ、メアリー、キャリーの三人が日曜学校のピクニックに行った様子が描かれています。かあさんはとっておきのレモンパイをもたせてくれましたし、ピクニックではアイスクリームとレモネードがふるまわれるので楽しみにしていました。ところが、レモネードは五セント、アイスクリームは十セントで、お金を持ってこなかった三人はがっかり。しかも、かあさんのレモンパイは日曜学校の先生方のお腹に入ってしまってひと口も食べられず、新しい靴を履いていたローラは足が痛くてたまらず、踏んだり蹴ったりの有様でした。


同じ話が「パイオニアガール」にも描かれています。でも、ピクニックに行ったのは二人だけです。ゾカートが「パイオニアガール」を基にして伝記を書いたのは、記述からも明らかですが、微妙に違っています。私の持っている「パイオニアガール」の版と彼の版とが違うのかもしれません。だとしたら、自伝と言われている「パイオニアガール」の信憑性はいかほどのものなのでしょうか? 

2014年2月1日土曜日

PG24 ネリーとジェネヴィーヴ

バーオークからウォルナットグローブにもどると、ローラたちは再び学校へ通いました。ローラの先生はアンクル・サムと呼ばれていたマスターズ先生で、女の子の手を握るという嫌な癖がありました。でも、ローラの手を握ろうとしたとき、ローラは手に針をはさんでいたので、それ以来、二度と手を握ろうとしなかったそうです。


先生の娘のジェネヴィーヴ・マスターズも同じクラスでした。彼女は、ネリーもびっくりの甘やかされたオジョーサマで、東部からきたのを鼻にかけていました。そのジェネヴィーヴとネリーが同じクラスになったのだから、さあ、たいへん! どちらもお山の大将になりたくてクラスは二分され、どちらにもつこうとしないローラを二人は必死に取り込もうとしました。ところが、驚いたことに、クラスの大将になったのはローラだったのです!


ネリー・オルソンは三人の女の子を基に創られた創作上の人物で、そのうちの二人は、このネリー・オウェンズとジェネヴィーヴ・マスターズです。二人とも似たような性格だったので、どちらもネリー・オルソンにしたという、ワイルダーの手紙も残されています。


ジェネヴィーヴ・マスターズはもどうしようもないくらい甘やかされていました。彼女の父親のアンクル・サムも女の子の手を握り、発明家きどりで町中に迷惑をひきおこしました。彼女のいとこも飲んだくれでどうしようもありませんでした。どうやらこれはマスターズ一族の血のなせるわざかもしれません。

2014年1月31日金曜日

PG23 綴り方競争

バーオークからウォルナットグローブに戻ると、インガルスは町の人々からあたたかく迎えられ、知人宅に間借りして落ち着きました。


とうさんは町に土地を借りて肉屋さんを始めました。とうさんと商売の組み合わせはあまりピンときませんが、けっこう繁盛したようです。各家庭で屠殺しても、春や夏には肉の保存ができません。冷蔵庫がなかったとき、近隣が協力し合って、順番に屠殺して肉を分け合うこともあったそうですが、ウォルナットグローブではなかったようです。冬になって屠殺の時季がくる前に肉屋さんはたたんだようです


ローラはウォルナットグローブのような新しい町が好きで、とりわけ楽しみだったのが、金曜日の夜の綴り方競争。「この楽しき日々」にはデ・スメットで行なわれた綴り方競争が描かれていますが、ウォルナットグローブでも同じような催し物があったようです。あるいはウォルナットグローブの綴り方競争を「この楽しき日々」に描いたのかもしれません。離婚が悲しいものだと知ったのも、このころでした。


町の文芸会はとても楽しかったようで、「小さな家」の出版以前にワイルダーは文芸会の思い出をエッセイにつづっています。

2014年1月30日木曜日

PG22 夜逃げ

経済的なこともあり、インガルスはバーオークから引っ越したかったのですが、家賃の支払いで大家さんの合意を得られないとわかると、なんととうさんは夜逃げを決行しました。ローラが真夜中に起こされると、荷物はすっかり馬車に運び込まれていて、真っ暗闇にまぎれてインガルスはバーオークを後にしたのです。


「パイオニアガール」でとうさんは、大家さんを「老いぼれの成り金ドケチ」と呼んでいました。こんな言葉遣いをするとうさんは、出版作品からは考えられません。つかおうとしても、かあさんがさえぎるでしょう。「パイオニアガール」の注釈を担当するパメラ・スミス・ヒル氏は、「出版作品のチャールズ・インガルスは、実在よりもロマンチックでより大きな人物に描かれている」と述べています。


でも、好きだな、そんなこと言うとうさんも、夜逃げするとうさんも。


2014年1月29日水曜日

PG21 体罰

日本でも教師による体罰が問題になっているようですが、ひと昔、教師による体罰はごく当たり前に行われていました。「小さな家」ではネリーの弟のウィリーが学校で鞭の罰を受けていました。「パイオニアガール」にも、教師による体罰が描かれています。
農閑期に学校へやってくる男たちは、トラブルを起こしにやって来るだけで、教師も手を焼いていたました。ローラとメアリーに詩の暗証を教えてくれたリード先生は当時、十六歳。頑強な男たちよりも小柄で年下でしたが、先生の方がいちまい上手だったようです。
ある日、先生はトラブルを起こす男の隙をついて、彼を自分の膝に腹ばいにさせ、クラス全員の前でお尻をペンペンしました。もうみんな、お腹を抱えて大笑い。噂は村中に広まり、その男も仲間たちも、もう学校へ来なくなりました。


アメリカの「農場の少年」の書評を読むと、「体罰の記述があるので気をつけるように」、「子どもにふさわしくない箇所がある」と書かれています。「農場の少年」には、トラブルを起こす男を教師が鞭を使って学校から追い出す話があるからです。
その教師は、友人の仇をうつためにその学校へやってきた、と聞いたことがあります。本当の話かどうかわかりませんが、友人は生徒に大ケガをさせられたか、そのケガがもとで亡くなったかしたそうです。


2014年1月28日火曜日

PG20 バーオーク

バッタの被害のために、インガルスはウォルナットグローブを去り、ミネソタに居るピーターおじさんの農場でしばらく過ごしてから、アイオワのバーオークへ移住しました。


「パイオニアガール」に書かれているバーオークの話が、出版作品にないのは、西へ西へと進む「小さな家」のテーマに合わないからとか、弟のフレディがピーターおじさんの家で亡くなって悲しい想い出がつきまとっていたからとか、いろいろと言われていますが、ある研究者は、「ローズは東に後戻りするのを、負け組だと考えていたからだ」と指摘しています。


でも、負け組だろうが勝ち組だろうが、ローラにはそんなことに関係なかったみたいです。ローラは東に戻るとうさんの気持ちをわかっていたし、フレディの死にもさらりと触れているけれど、馬車に乗って旅するのに、ものすごくはしゃいでいて、ホントに馬車に揺られて旅をするのが好きだったんだな~・・・・「パイオニアガール」を読むと、そんな思いが伝わってきます。


原作でインガルスはプラムクリークの土地で暮らしていますが、その土地は、無料で手に入るというホームステッド法に基づいて申請した開拓農地ではありません。チャールズ・インガルスはその土地を現金で払いました。
原作には書かれていませんが、彼は1875年にそこから少し北東に樹木農地を申請していて、バーオークに居たときもその農地を持っていました。一年後にバーオークからウォルナットグローブへ戻ると、彼は樹木農地を放棄して、ホームステッド法に基づいてその半分を開拓農地として申請しました。でも、開拓農地を手に入れるには、一年のうち半年をそこで過ごさなくてはなりません。いったい、インガルスはいつそこで暮らしていたのでしょう? あるいはいつそこで暮らす予定だったのでしょうね?

2014年1月27日月曜日

PG19  ネリーオルソン

ネリーオルソンは実在の三人の女の子、ネリー・オウェン、ジェネヴィーブ・マスターズ、ステラ・ギルバートを組み合わせて作り上げた架空の人物なのはよく知られています。プラムクリークのネリーのモデルになったのはネリー・オウェンです。原作ではネリーと弟のウィリーは、町のパーティと村のパーティに登場しますが、パイオニアガールにその話はありません。でも、二人ともおもちゃで遊ばせてくれないし、意地の悪さは相変わらず。だから、ローラは二人がプラムクリークへ来た時に、ザリガニやヒルを使って復讐します。


不思議なのはそんな意地悪をされているのに、ローラたちは学校帰りに二人の家によって遊んだりしているのです。なぜ一緒に遊ぶのかな~、同じ年頃の子どもたちが少なかったのかな? 私だったら遊ばないな~と思うのがフツーだと思うけど、嫌いな人ともやっていかれる能力って社会に出てから強いです。

 

今の日本だったら、ヒルをつけたりしたら、ママ友とか出てきて大変なことになりそう・・・・・。ママ友の世界って複雑そうだし、かあさん、苦労するかも。


2014年1月25日土曜日

PG18 バッタの襲来

「プラムクリークの土手で」の中に、インガルスの小麦畑が豊かに実り、「小麦が売れたら金持ちになるぞ、なんでも欲しいものが買えるようになるんだ」と収穫を心待ちにしている話があります。ローラはとうさんが新しいブーツが買えるのを楽しみにしていました。ところが、バッタの襲来に遭い、すべてを失ってしまいました。

「パイオニアガール」では、バッタの襲来によって失ったいちばん大きなものは、モノではなく、思い描いていた未来への夢や希望だったと、率直に述べられています。

今回、このくだりを読んで、東日本大震災で被害に遭われた方々と重なりました。




2014年1月22日水曜日

PG17 独立記念日1

「パイオニアガール」にはウォルナットグローブで迎えた独立記念日の様子が記されています。インガルスはバスケットにごちそうを詰めてよそ行きの服に着替え、町へピクニックへ行き、独立記念式典を見学しました。ピクニックへ行くのは初めてだったので、ローラはワクワクしていました。

その式典で歌をうたった男女は、のちに駆け落ちしたそうです。ローラとメアリを「私の村娘たち」と呼んで可愛がってくれたオルデン牧師も、妻子を捨てて駆け落ちしたとよんだことがあります。バーオークのホテルで、インガルスが働いていた時にも、男女のイザコザがあったようです。


ローラは、そういった大人の世界をあまり理解できなくても、なんとなく気づいていたようでした。大人たちが話しているのを、耳をそばだてて聞いているような、めざとい子だったようです。とうさんとかあさんのいないところで、メアリと二人でコソコソ話していたかもしれないと思うと、笑ってしまいますが、同時に子どもの生々しい成長を見る思いがします。
 

2014年1月20日月曜日

PG16 スウェーデン

「大きな森の小さな家」には、ローラとメアリーが近隣の家でクッキーをもらう話があります。二人で一枚のクッキーを半分ずつ食べて、もう一枚はキャリーに持って帰るけれども、何か公平ではないな~と思うというくだりです。クッキーをくれたピーターソン夫人はスウェーデンからの移民で、ローラたちは英語で、夫人はスウェーデン語で話すけれども、ちゃんと通じました。


プラムクリークで懇意にしていたお隣のネルソンさんもスウェーデンからの移民で、ローラは同じように話していて、お互いに理解できました。牛の乳しぼりを教えてくれたのもネルソンさんで、ローラはスウェーデン語なまりの英語をはなしていてとうさんに笑われていました。


ワイルダーが暮らしていたミズーリ州マンスフィールドはオーザクス丘陵と呼ばれ、今でも保守的な地域として知られています。ワイルダーはそこで人生の大半を過ごしました。
そのワイルダーは異質の文化背景をもつ人々に対して、柔軟性がありました。サンフランシスコを訪れたとき、ある女性たちが日本人や中国人や黒人を蔑称で呼び、「彼らのいるサンフランシスコは嫌なところだ」と話しているのを聞いて、ワイルダーは彼女たちに批判的な意見を述べていました。


保守的な土地で過ごしたワイルダーが、どこでそのような柔軟性を身につけたのか不思議でしたが、小さな家シリーズをきちんと読めば、ヒントがあるようです。そういえば、プラムクリークの牛飼いのジョニーも移民で、英語がまったくわかりませんでした。彼の昼寝のせいで、牛に干し草があらされてしまった話も、ワイルダーは温かな視線で描いています。アメリカに住んでいるのに英語もわからないのか、といったニュアンスは感じられません。移民に囲まれて育ったワイルダーは、自然にそういった柔軟性を身につけていたようです。

2014年1月18日土曜日

PG15 ゴーファー

「大草原の小さな家」ではゴーファーはローラたちの遊び相手でしたが、畑を荒らす彼らは頭の痛い存在でもありました。「パイオニアガール」によると、今の動物愛好家が知ったら、眉をひそめることもしていたようです。


人間は万物を支配するという西洋人の自然観は、旧約聖書の創世記の影響と言われています。そのせいか、アメリカ人の書いたワイルダーの伝記や記事を読んでいると、「大自然を征服する」という言葉をよく見かけます。アメリカは「明白なる神意」のもとに、大自然を破壊して成り立った国で、「小さな家」をアメリカ史ととらえていますから、今でも「大自然の征服」を肯定しているのかな、と思うことがあります。  


「小さな家」をどうとらえるかは、個人でも違うし、日本人とアメリカ人でも違うし、アメリカ人でも白人と先住民とでも違います。違って当然ですが、ワイルダー関連の文章の中で「大自然を征服する」という言葉をためらいなく使っているのにぶつかると、彼らとの間に深い溝を感じます。「この楽しき日々」の中で、ローラは野生の動物たちが自由に歩き回っている在りし日のアメリカを思い浮かべて、大自然を征服してきた在り方に疑問を感じているのに、彼らはそうは取らないのかなとも思います。


でも、溝を感じるのはお互いさまかもしれない。ワイルダー学会である有名な研究者と話していた時、「西洋人の自然観を知らなかった頃、私は小さな家を大自然と融合した生活を描いた作品だと思っていた」と言ったら、目をまん丸にしていました。



2014年1月16日木曜日

PG14 プラムクリークで

「プラムクリークの土手で」によると、クリークには大きな岩があって、ローラとメアリーの格好の遊び場になっていました。「パイオニアガール」では、二人はそこでインディアンごっこをして遊んでいたという簡単な記述があります。
でも、「プラムクリークの土手」では、その描写はありません。その話を膨らませることもできたのに、なぜ削除されたのか・・・? 作品の流れから必要ないと判断したのか、それとも、先住民に配慮したのか? どちらなのでしょう?


 「プラムクリーク」が書かれたのは一九三十年代。公民権運動よりも数十年も前です。もし配慮したのならば、ワイルダーはかなり思慮深かったと言えます。ワイルダー研究者ジョン・ミラーは、小さな家の先住民や少数派の記述について、「執筆された時代を考えるなら、ワイルダーを糾弾するのではなく、賞賛すべきだろう」と述べています。ただ、ワイルダーの中に無意識の偏見があったのは事実で、本人もそれに対して謝罪しています。


アメリカのみならず、一九六十年代の日本でも、テレビの子ども番組でインディアンごっこが放映されていたのを考えると、ミラーのそれは一理ある意見だと思います。ただ、アメリカには今でもワイルダーと同じ視点でしか小さな家シリーズを見ようとしない読者や研究者がいるのも事実です。アメリカ人にとって小さな家シリーズは、理想のアメリカに住む理想のアメリカ人を描いた作品なので、ダークな部分に触れたくないという感情が、意識的に、あるいは無意識のうちに働くのかもしれません。「パイオニアガール」にはどのような注釈がつくのでしょうか?


「パイオニアガール」をひもとくと、どこが創作か事実かがある程度わかってきます。それを知ることは必ずしも大切だとは思いません。このブログを書いていると、「小さな家」やワイルダーについてもっと深く知りたいという欲求と、「そんなこと、どうでもいいや」という気持とがせめぎ合っています。

昔は、物語のローラと作家のワイルダーは同一人物で、「小さな家」は本当の物語だと信じて疑いませんでした。素直に作品を受け止めて、ローラが好きで好きでたまらなかったその頃の方が、心豊かだったと思うこの頃です。



2014年1月15日水曜日

PG13 汽車

ドナルド・ゾカート著のワイルダー伝記には、ローラが初めて汽笛を聞いた話が紹介されています。
「パイオニアガール」にも同じ話があります。ミネソタに移住する途中、インガルスが川べりでキャンプをしていると澄んだ音が聞こえてきました。それはローラが初めて聞いた汽笛でした。ローラたちは、息をのむようにして汽車が通り過ぎるのをみつめていました。

ローラが幼いころは馬車で旅をしていましたが、それが汽車になり、やがて、自動車の時代になりました。ワイルダーは自動車を「ブリキ缶」と呼んで、アルマンゾと一緒に自動車旅行を楽しんでいたようです。そのワイルダーは晩年に飛行機にも乗っています。彼女の過ごした九十年は(1867-1957)、とうさんの言うとおり、「偉大な時」でした。


でも、ワイルダーはそんな時代に危機感をつのらせていたようです。そんな危機感は「長い冬」で、汽車が止まって灯油がなくなってしまったとき、「便利だけど人に頼り過ぎている」いうとうさんの言葉に表れているような気がします。

2014年1月13日月曜日

PG12 じいちゃんの家のダンス

「大きな森の小さな家」ではメープルシロップ作りのときに、じいちゃんの家に親戚中が集まって、ダンスをする話があります。
「パイオニアガール」では、じいちゃんの家のパーティとヒューレットさんの家のパーティの話があって、「大きな森の小さな家」のじいちゃんの家のダンスパーティーの話は、この二つのエピソードを基にして創り上げたようです。
ヒューレットさんというは、「大きな森の小さな家」でローラと木登りをしたクラレンスとエバの兄弟の家です。ローラたちが木登りをしている間、ヒューレット夫人はかあさんと一緒に、ゴーディースという婦人雑誌を読んでいました。
「大きな森の小さな家」では、とうさんが一人でダンスの演奏を担当していましたが、ほかにもバイオリンやバンジョーの演奏もあったようです。


たしか実在のクラレンスは学校の先生になったんじゃなかったかな。それに実在のワイルダーに気があったらしくて、彼女を忘れられなくて、長い間、独身だったとかなんとか。それを後になってきいたワイルダーは喜んだ、というようなことをどこかで読んだ覚えがあったような気がする・・・・・・・。でも確かではないです。ひょっとしたら、別の男性かも・・・・。間違っていたらスミマセン。m(._.)m

2014年1月12日日曜日

PG 11 親戚のおじさんとミルバンク

昔、親戚の中には、まともな職に就かないでブラブラしていたり、トラブルをおこして親戚中に迷惑をかけたりしたオジサンが一人くらいいたものだ。ローラたちの家でそれにあたるのが、大きな森でローラとダンスを踊ってくれたジョージおじさんだ。「大きな森の小さな家」で述べているように、若いうちから軍隊に入っていたのだから、ワイルドになってしまったのは仕方ないと、家族もあきらめムードだった。アメリカのファンの間でも知られていますが、彼は窃盗で逮捕されたそうな。


もうひとり、こちらはまともなおじさんだけど、ローラの好きだったのはトムおじさん。たしか「この楽しき日々」だったと思うけど、おじさんがデ・スメットに遊びにきたとき、アルマンゾが誤解して、やきもちを焼いたといういわくつきのおじさんだ。ローラたちの愛読書だった「ミルバンク」は、トムおじさんがくれたものらしい。


「プラムクリークの土手で」には、学校行きをしぶったローラが、「あたし、字が読めるもん」と、「ミルバンク」の冒頭を読んだふりをして、かあさんに読んできかせるくだりがある。
手元に「ミルバンク」があるので、ためしにその冒頭と、「プラムクリークの土手で」に載っている「ミルバンク」の冒頭を比較してみたら、ほぼ一致する。
ワイルダーは幼いころに読んだこの本の冒頭を、ホントに覚えていたのか、それともこの本を持っていて、それを作品に使ったか、さてどちらでしょう? たしかミズーリ州のワイルダー記念館は、ワイルダーの蔵書リストをもっていたと思うので、今度出版される「パイオニアガール」にどんな注釈がつくのか楽しみです。

2014年1月10日金曜日

PG10 クリスマス

小さな家はおいしそうなシリーズだけど、なかでも美味しそうなのがクリスマス。「大きな森の小さな家」で、お客様をむかえるためにかあさんが作ったごちそうは、

壺いっぱいのクッキー、
ライ麦&コーンミールパン、
スェーデンクラッカー、
塩づけブタ入りベークド・ビーン、
ビネガー・パイ、
干しリンゴのパイ、
雪の上で固めた糖蜜のキャンディー
塩でふくらませたパン

というもの。
ところが、「パイオニアガール」のクリスマスに出て来るのは最後の四つだけ。大きな森のほうが断然おいしそう。

それに「大きな森の小さな家」では、ローラはプレゼントに人形のシャーロッテをもらうのに、「パイオニア・ガール」ではシャーロッテは登場しません。
以前は小さな家シリーズを実話と思っていたので、「この楽しき日々」でローラが結婚するときにこのシャーロッテを連れて行くのを読んで、「ちゃんと取っておくなんて、すごーい」と感激したけれど、シャーロッテはワイルダーの創作なのかもしれない・・・・。でも、「パイオニアガール」の五歳の誕生日にはかあさんの手作りの布人形をもらっているので、それがシャーロッテの話の基になっているのかも・・・・。
創作だとしても、第一巻の「大きな森の小さな家」で登場させた人形を、最終巻の「この楽しき日々」の大事なシーンで登場させて読者の感激を誘うなんて、心憎いというか、さすがですね。

2014年1月6日月曜日

PG9 編み物

「パイオニア・ガール」には四才のローラがかあさんから編み物を習い、ミトンを作る話があります。 ローラのことですから、 あまり辛抱強くなかったようですが、 かあさんはできるまでやらせました。ようやく両方とも編み上げたら、最初に編んだのは犬がおもちゃにしていたようで、もう一度やり直し。ローラには気の毒だけど笑っちゃいます。


物語のローラは手芸があまり好きではなかったとありますが、 実在のワイルダーは楽しんでいたようです。 ワイルダー記念館にはワイルダーのドレスやキルトをはじめ、手作りのものが展示されています。 ワイルダーはボビンレースもしていたようで、 繊細なレースの襟を見た時は感激しました。今では手作りというと、愛情とかぬくもりとか云う言葉とワンセットになっているけれど、 ローラやワイルダーやかあさんのそれは、 いかにも質実剛健という感じがします。 手作りについて聞かれたら、彼女たちは自分で作れるものを、なぜ高いお金を払って買う必要があるのか、と答える気がします。

2014年1月2日木曜日

PG8 開拓時代の119番

「パイオニア・ガール」には、大きな森で山火事が起きる話があります。森の中から数発の銃砲を聞いたとうさんは誰かが迷ったのを察知して、 銃を空に向かって撃ち、 迷子になった人に 居場所を知らせました。

開拓時代には110番も119番もなかったけれども、 緊急時には隣人が駆けつけて助け合いました。
アルマンゾの家では昼ごはんの合図にラッパを使っていましたが、 開拓時代によく活躍したのはディナーベルと呼ばれる三角形のベルです。 音楽の時間に使うようなトライアングルを大きくしたようなもので、 昼食の合図に使われました。 でも、 緊急時には119番に早変わり。 繰り返し鳴らすと、異変に気づいた人たちが駆けつけてくれたのです。 いわば、 開拓時代の携帯電話です。  ローラたちが学校でノート代りに使っていた石板にしても、 今でいうならiPadです。  デジタルではないだけで時代が違っても、 基本的な機能は同じですね。 


「はじめの四年間」にはローラたちの家が火事になった話があります。火事の原因は描かれていませんが、 後年、ワイルダーの娘のレインは、自分がわらをくべようとしたのが原因だと述べていて、 アメリカの研究者もそれを言葉どおりに受け取っています。


でも、本当でしょうか?   開拓記念館で十九世紀の料理用ストーブを使っている私の経験からいうと、それを言葉どおりに受けるのは、無理があります。当時の料理用ストーブは、バーナーだけでなく、ストーブ全体が発熱しますから、幼児の事故も多かったのです。 だから、 たった二~三歳の子供がわらをくべようとしたら、 常識のある親なら絶対にやらせないはずです。 ストーブでなくても、幼い子供に火を扱わせたりしません。レインがくべたわらが原因というのは、 本人の思い違いではないでしょうか? 
むしろ、ストーブのそばに置いてあったわらから出火したのではないかと思います。ストーブの隙間から火の粉が飛び出してくることがありますから。