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2014年1月28日火曜日

PG20 バーオーク

バッタの被害のために、インガルスはウォルナットグローブを去り、ミネソタに居るピーターおじさんの農場でしばらく過ごしてから、アイオワのバーオークへ移住しました。


「パイオニアガール」に書かれているバーオークの話が、出版作品にないのは、西へ西へと進む「小さな家」のテーマに合わないからとか、弟のフレディがピーターおじさんの家で亡くなって悲しい想い出がつきまとっていたからとか、いろいろと言われていますが、ある研究者は、「ローズは東に後戻りするのを、負け組だと考えていたからだ」と指摘しています。


でも、負け組だろうが勝ち組だろうが、ローラにはそんなことに関係なかったみたいです。ローラは東に戻るとうさんの気持ちをわかっていたし、フレディの死にもさらりと触れているけれど、馬車に乗って旅するのに、ものすごくはしゃいでいて、ホントに馬車に揺られて旅をするのが好きだったんだな~・・・・「パイオニアガール」を読むと、そんな思いが伝わってきます。


原作でインガルスはプラムクリークの土地で暮らしていますが、その土地は、無料で手に入るというホームステッド法に基づいて申請した開拓農地ではありません。チャールズ・インガルスはその土地を現金で払いました。
原作には書かれていませんが、彼は1875年にそこから少し北東に樹木農地を申請していて、バーオークに居たときもその農地を持っていました。一年後にバーオークからウォルナットグローブへ戻ると、彼は樹木農地を放棄して、ホームステッド法に基づいてその半分を開拓農地として申請しました。でも、開拓農地を手に入れるには、一年のうち半年をそこで過ごさなくてはなりません。いったい、インガルスはいつそこで暮らしていたのでしょう? あるいはいつそこで暮らす予定だったのでしょうね?