2014年1月16日木曜日

PG14 プラムクリークで

「プラムクリークの土手で」によると、クリークには大きな岩があって、ローラとメアリーの格好の遊び場になっていました。「パイオニアガール」では、二人はそこでインディアンごっこをして遊んでいたという簡単な記述があります。
でも、「プラムクリークの土手」では、その描写はありません。その話を膨らませることもできたのに、なぜ削除されたのか・・・? 作品の流れから必要ないと判断したのか、それとも、先住民に配慮したのか? どちらなのでしょう?


 「プラムクリーク」が書かれたのは一九三十年代。公民権運動よりも数十年も前です。もし配慮したのならば、ワイルダーはかなり思慮深かったと言えます。ワイルダー研究者ジョン・ミラーは、小さな家の先住民や少数派の記述について、「執筆された時代を考えるなら、ワイルダーを糾弾するのではなく、賞賛すべきだろう」と述べています。ただ、ワイルダーの中に無意識の偏見があったのは事実で、本人もそれに対して謝罪しています。


アメリカのみならず、一九六十年代の日本でも、テレビの子ども番組でインディアンごっこが放映されていたのを考えると、ミラーのそれは一理ある意見だと思います。ただ、アメリカには今でもワイルダーと同じ視点でしか小さな家シリーズを見ようとしない読者や研究者がいるのも事実です。アメリカ人にとって小さな家シリーズは、理想のアメリカに住む理想のアメリカ人を描いた作品なので、ダークな部分に触れたくないという感情が、意識的に、あるいは無意識のうちに働くのかもしれません。「パイオニアガール」にはどのような注釈がつくのでしょうか?


「パイオニアガール」をひもとくと、どこが創作か事実かがある程度わかってきます。それを知ることは必ずしも大切だとは思いません。このブログを書いていると、「小さな家」やワイルダーについてもっと深く知りたいという欲求と、「そんなこと、どうでもいいや」という気持とがせめぎ合っています。

昔は、物語のローラと作家のワイルダーは同一人物で、「小さな家」は本当の物語だと信じて疑いませんでした。素直に作品を受け止めて、ローラが好きで好きでたまらなかったその頃の方が、心豊かだったと思うこの頃です。