2015年5月30日土曜日

PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。
フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ・ダウレィと結婚して、数人の子どもを設けました。1931年にデ・スメットを訪れたワイルダーとアルマンゾと再会したときには、「長い冬」の思い出話をしています。
彼女は夫を見送ってから数年後に、家族に見守られながら、1935年に79歳で死去。お墓はデ・スメットにあります。

「長い冬」に、アルマンゾと一緒に小麦を探しに行ったキャップの本名は、オスカー・エドモンド・ガーランドといいます。彼はフローレンスの弟で、1880年当時、15歳。ローラより二歳年上でした。最初、ローラはアルマンゾよりも、キャップに気になっていました。
 「長い冬」には、突然襲って来た猛吹雪の中を子どもたちが集団下校したときに、誤った方向へ行ってしまい、キャップが気づいて助けを呼びに行く話があります。これと同じ話は「パイオニアガール」にもみられます。
キャップは1883年に、デ・スメットの東にあるクラーク郡に姉妹と共に開拓農地を申請しましたが、1891年11月に二十六歳で、脱穀機の爆発事故で亡くなりました。

二人とも幼いときに父親を亡くし、母親は42歳のときに三人の子どもを連れてデ・スメットに移住。 母親は農婦と記録されていますが、下宿屋を開いて生計をたてていました。


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