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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2015年2月26日木曜日

PGH はしかとしょう紅熱 IW2

バーオークに移ったインガルスは、ホテルの経営にたずさわりました。ウォルナットグローブからの知り合いのステッドマン夫妻との共同経営でした。夫妻にはジョニーとルーベンという二人の男の子がいましたが、良い遊び相手ではありませんでした。とくにジョニーは生まれつき足が悪かったので甘やかされていたからです。
学校から帰ると、ローラとメアリはお皿を洗ったり給仕をしてかあさんを手伝い、ステッドマンの奥さんに頼まれて、面倒なトミー・ステッドマンのお守りもしました。お守りをしてくれたら、クリスマスのプレゼントをくれると約束したからです。


でも、クリスマスはがっかりでした。とうさんもかあさんも忙しくて、ステッドマンの奥さんはプレゼントをくれなかったからです。おまけにクリスマスのあと、 ローラとメアリとルーベンは、はしかになってしまいました。二人がおとなしく寝ていると、ジョニーがこっそりやってきて、枕を引き抜いたりつねったりしました。そのうちジョニーもひどいはしかになってしまい、ローラは嬉しかったと綴っています。

一八七六年の秋にはしかが流行して、ワクチンのなかった当時、肺炎や下痢などを併発しました。「シルバーレイクの岸辺で」の執筆中、ワイルダーはメアリの失明について、「完治しなかったはしかが原因だ」とレインに説明していました。

けれども、原作ではしょう紅熱になっています。何かで読んだのですが、当時、しょう紅熱はよくみられた病気なので、子どもでもわかりやすいように変えたのではと、その執筆者は推測していました。

現代医学では、はしかや猩紅熱が原因で失明することはないとされています。メアリの失明は脳炎によるものだと専門家は結論づけています。

 その専門家は、たしか三〜四人の小児科医のチームだったと思います。 なぜ、彼女たちがメアリの病気の原因を調べようとしたのかは、しょう紅熱にありました。
病気の子どもを診察して、子どもの親に「しょう紅熱です」と告げると、メアリの失明を思い出して、子どもが失明すると思ってパニックになる親が多かったそうです。しょう紅熱で失明することはないと説明しても、不安をぬぐいきれない親が多かったのでしょう。そこでチームを組んで、きちんとメアリの失明の原因を探ったそうです。

アメリカにおける「小さな家」のインパクトは、大きなものがあるのですね。



2015年2月22日日曜日

PGH リード先生 IW1

バッタの襲来に遭ったインガルスはウォルナットグローブを去り、バーオークに移住して、ホテルに経営にたずさわりました。

バーオークでローラたちが通った学校の校長先生はウィリアム・リードという男の先生で、「パイオニアガール」では二十一歳となっていますが、実際は十六歳でした。
リード先生は一八六十年にアイオワで生まれ、教育免許を取得してまもなく、バーオークで二年あまり教えました。新米の先生でしたが、とても良い先生だったと記録が残っています。その後、アイオワの別の学校で教えてから、一八八三年にダコタ・テリトリーへ移住。そして、アイオワに戻ると教え子の一人と結婚して、九十二歳でミネソタで亡くなりました。
リード先生は想い出深い先生だったようで、晩年ワイルダーは先生に教えてもらったことを感謝していると、あるエッセイに綴っています。

リード先生のお墓の写真はこちらから

「パイオニアガール」には、そのリード先生が生徒の一人を学校から追い出す話があります。農閑期には、学校にケンカ好きの連中がやってきて、クリスマスまでに先生を追い出すと公言していた、なかでも手がつけられないほどワルだったのが、モーゼだった、
ある日、彼らはそろって遅刻して来て、授業を妨害しはじめた、リード先生がモーゼに前に来るようにいうと、ケンカする気満々で先生の前にたった彼を、先生はすばやく自分の膝に倒して、幼い子どもにするように、ものさしでお尻をペンペンした、
教室は笑いの渦となり、笑い者となったモーゼは二度と学校に戻ってこなかった、他の連中も寄りつかなくなり、教室は静かになった、モーゼの噂は村中に知れ渡り、モーゼはバーオークからも出て行ったという話です。

ワイルダーの夫アルマンゾの少年時代を描いた「農場の少年」には、アルマンゾの先生だったコアーズ先生が、授業を妨害する生徒を鞭でたたきのめして追い出す話があります。その生徒は学校に来なくなり、悪さをするほかの連中も来なくなって学校が静かになったというエピソードで、リード先生の話と良く似ています。
ヒルは「こういう話はよくあったので、ワイルダーは自分の体験を「農場の少年」に使ったのではないか」と推測しています。

2015年2月16日月曜日

PGH バッタの救済と出稼ぎ MN8

インガルスがミネソタへ移住した一八七四年、ミネソタ南西部がバッタに襲われ、多くの人々が出稼ぎに行かなければならなくなりました。とうさんもその一人でした。ウォルナットグローブには鉄道が通っていましたが、多くの人々が運賃を払えないため乗車できず、ある人はミネソタ知事に、取り計らってくれるよう直訴しています。
下書きの「パイオニア・ガール」では、 「とうさんは外套を肩にかけて歩いて行った」、バイ版では「切符が買えないので歩いて行った、馬を飼っておく余裕もなかった、馬を売ったわずかなお金がかあさんに残された」となっています。

下書きの「パイオニア・ガール」では、「とうさんから幾度か手紙が来てお金も送られて来た」とシンプルに記してあるだけで、「プラムクリークの土手で」のように、かあさんがブルブル震えながら封を切ったり泣き出すくだりはありません。

実在のインガルスは生活に困窮していたため、一八七五年十一月末、政府の救済制度に申請して、五ドル二十五セント相当の小麦粉を受け取っていました。ヒルは「ワイルダーは幼かったので、気づいていなかったのでは」と推測 しています。
でも、ほんとうにローラはきづいていなかったのでしょうか? 

「プラムクリークの土手で」でも、下書きの「パイオニアガール」でも、バッタの襲来後、とうさんは翌年のためにわずかながらの小麦をまいていました。これも政府からの配給の種麦らしい、とヒルは「パイオニアガール」の記述から推測しています。記述から推測したというなら、それを書いたワイルダーは配給種麦について知っていたはずです。だったら、配給小麦についても知っていてもおかしくないと思うのですが。

 インガルスはメアリの盲学校進学にあたり、政府から財政的な支援を受けていました。今回の調査で、バッタの救済支援を申請していたことも明るみに出ました。保守派のワイルダー研究者や、福祉政策に反対するティーパーティは、政府に頼らない「小さな家」シリーズの独立自尊の精神を賞讃してきました。彼らはこの事実をどう受け止めるのでしょう?そして、政府の援助を受けていたワイルダーは、なぜ事実を隠してまで、「小さな家」のインガルスの独立を強調しようとしたのでしょうか?

 オバマ政権下の、保守派による「小さな家」の捉え方は下記をご覧下さい。
オバマ政権下の「小さな家」
  




2015年2月14日土曜日

PGH 駆け落ち、不倫、酒、暴力 MN7

「パイオニア・ガール」ではインガルスが独立記念日の式典に出席するくだりがあります。

フライドチキン、バタつきパン、レモンパイをバスケットに詰め込んで、よそいきの服を着込んで、一家そろって出かけました。退屈な挨拶や演説が済むと、皆で歌をうたい、そのあと真っ白なドレスに身をつつんだ美しい女性と、甘い声の素敵な男性が舞台にあがりました。二人はお互いにみつめあいながら交互に歌い、すばらしい歌声を披露しました。
 それから、数日後、ローラはとうさんがかあさんに話しているのを耳にしました。
「あのカップルが一緒に逃げたそうだよ」
そして「彼らはなぜ逃げたのか、何から逃げたのか、あたしは不思議に思いました」と結んでいます。

注釈には、駆け落ち/不倫だったのだろうとあります。 「パイオニア・ガール」は大人向けに書かれたものですが、最後のローラの言葉は子どもの視点から描かれています。それは誰もが持っていた子どもの頃の無邪気さを強調していて、作品にユーモアを添え、失ってしまったものへの郷愁を誘うと、注釈者のヒルは添えています。

こういった類いの話は「パイオニアガール」にはいくつも出てきます。
ウォルナットグローブの雑貨店で働いていたジョン・アンダーソンが、ティーニー・ピーターソンと不倫をしていて奥さんのアナが悲しんでいた、あたしはアナが好きだったから悲しかった、でも、ティーニーは町から出て行ったから元どおりになった、という話もあります。でも、ティーニー・ピーターソンの在住記録はなく、ジョン・アンダーソンの奥さんの名前もアナではありません。ワイルダーの記憶は確かではありませんでした。

以前、バイ版の「パイオニア・ガール」を紹介したときにも書きましたが、幼いワイルダーは大人の世界を垣間みていて、「小さな家」シリーズのローラのように無邪気そのものではありませんでした。「パイオニアガール」からは、複雑な男と女の関係や理不尽な社会の現実を、ドアのすき間からみていたローラが見えてきます。子どもの生々しい成長をみるようで、私にはそちらの方が興味深いです。


 「パイオニアガール」には、バーオークでインガルスが暮らしていたホテルの扉には、以前、酔っぱらったホテルのオーナーが、逃げる女房に向かって撃った弾丸の跡があった、ホテルの酒場で飲んでいた男がタバコに火をつけると、口のあたりの気体に引火して炎が喉に飛び込んで行き、彼は一瞬のうちに亡くなった、といった話もあります。この話はすでにゾカート著「ローラ・愛の物語」に詳細に記されて、日本でも紹介されていますから、べつだん、新しいものでもありません。


 アメリカで「パイオニア・ガール」は好評で、いくつものレビューを目にします。けれども、ここにあげたようなゴシップ的な箇所を強調しているメディアも多く、女性週刊誌のようにセンセーショナルに報じているものも目にします。新聞のタイトルだけみると、「ほんとうのインガルスは理想の家族ではなかった」、「とうさんは暴力をふるい、駆け落ちしたらしい」と勘違いしてしまいそうです。「パイオニア・ガール」のレビューを追っていると、マスコミはこんな風にゴシップを作って行くんだな、としみじみ思います。
「パイオニアガール」は注釈つきの読みものではありません。かなり詳細な学術書です。それにもかかわらず、アマゾンでトップセラーになったのは、 アメリカにおける「小さな家」の重みだけではなく、ゴシップ的なレビューにも影響されているような気がします。







2015年2月13日金曜日

PGH クリスマスのケープと教会の鐘 MN6

「プラムクリークの土手で」で迎えたクリスマスで、ローラが毛皮のケープ(cape)とマフをもらう話があります。ローラのケープはネリー・オルソンのよりきれいで、ネリーはマフをもっていなかったので、ちょっぴり胸がスッーとしたというくだりです。
「パイオニア・ガール」でローラがもらったのは、肩かけ(collar or tippet)でした。言葉にならないくらい嬉しかった、ローラはかあさんに促されてオルデン牧師にお礼を言ったと書かれています。ライバルのネリーは登場しません。

インガルスが通っていたのは組合教会で、チャールズ&キャロライン・インガルスを含む十四人のメンバーによって設立されました。その記念式典が一八七四年十二月二十日に開かれ、設立に協力した東部の教会の人々も多数出席しています。そのときにクリスマスツリーやプレゼントが飾られていたようです。ワイルダーが「プラムクリークの土手で」で描いたのは、そのクリスマスかもしれません。ただその頃、ウォルナットグローブでは毎年クリスマスツリーを飾っていたので、別のクリスマスかもしれないと、注釈がついています。

「プラムクリークの土手で」では、とうさんが教会の鐘のためにブーツの代金三ドルを寄付した話があります。「パイオニア・ガール」でも同じ話がありますが、金額は書かれていません。
ゾカートの伝記では「とうさんが寄付したのは二十六ドル五十セントだった」となっています。教会にはその記録が残されていますが、当時としてはかなり高額なため、「チャールズ・インガルスは管財人だったので、他の教会員の会員費も一緒に納めたのだろう。彼一人の献金ではないと思う」とヒルは述べています。

2015年2月11日水曜日

PGH ネリー・オルソン MN5

ローラの宿敵だったネリー・オルソンは、「プラムクリークの土手で」でも、テレビドラマでも、下書き原稿の「パイオニア・ガール」でも、似たような性格に描かれています。

「パイオニア・ガール」では、ネリーの名前はオルソンではなく、オーエンズとなっています。ネリーはワイルダーが創りだした創作上の人物で、三人の女性がモデルになっていて、ネリー・オーエンズはその一人です。
ネリーの父親ジェームス・オーエンズはニューヨークで生まれ、母親のマーガレットはカナダの生まれで、二人は雑貨店を営んでいました。ドラマではネルスとハリエットになっていますが、原作にはファーストネームが書かれていないので、ドラマのスタッフがつけたものでしょう。
 ネリー・オーエンズは一八六八年か六九年にミネソタで生まれました(国勢調査は六八年、墓石は六九年となっている)。ですから、ローラより二〜三歳下です。弟のウィリアムスはネリーの一歳下で、幼い頃の花火の事故で片方の目を失明しています。
一 家がいつミネソタを去ったのかわかりませんが、一九◯◯年までにオーエン一家はオレゴンに移住して農場を営み、ネリーはヘンリー・フランク・カリーと結婚、三人の子どもをもうけて、一九四九年に亡くなりました。ウィリアムズもオレゴンで結婚して、三人の子どもをもうけ、一九三四年にオレゴンのポートラン ドで亡くなりました。二人が「小さな家」を読んでいたのか、登場人物のモデルになっていると気づいていたか、残念ながら手がかりはありません。


「パイオニア・ガール」のミネソタの部分にネリーは登場します。話の大筋は「プラムクリークの土手で」と似たようなもので、学校帰りにローラとメアリーは、時々ネリーの家によって遊んだ、ネリーと弟のウィリーは素晴らしいおもちゃや絵本を持っていた、素敵な人形に触らせてもらえなかった、キャンディーを分けてくれなかった、ローラはネリーたちをわざとザリガニとヒルのところへ連れて行った、わざとやっているのに気づかないので、遊びに来るたびに同じ目にあった等々。「プラムクリークの土手で」ではオルソン夫人はきちんとした女性に描かれていますが、「パイオニア・ガール」では夫人への批判めいたひと言がみられます。


「プラムクリークの土手で」の町のパーティーで、ひとりぼっちのローラがマザーグースの本に魅せられる話があります。これもワイルダーの実体験が基になっています。レインにあてた手紙でワイルダーは、ネリーの家には「たくさんの本があってワクワクした、外で皆と遊ぶよりも、本棚の近くに座って 本を読んでいた」と述べています。


 「パイオニアガール」でもメアリは優しい子に描かれていて、ザリガニとヒルのいたずらを止めるようにローラに言いますが、ローラは「人形を触らせてくれなかったから、あたしはあたしのやり方で遊ぶんだ」と突っぱねています。かあさんが仲介に入って止めさせますが、とうさんは青い目をチカッとさせて、そんなローラを笑っていました。エピソードも登場人物の性格も、「プラムクリークの土手で」と骨組みは変わっていません。


「プラムクリークの土手で」のネリーは、初めてローラに会ったとき「村の子ね」とバカにしたり、人形に触ろうとしたローラに意地悪な言葉を浴びせたり、キャンディーに染まった舌をベーッと出したりしますが、「パイオニア・ガール」にはありません。町のパーティと村のパーティの話もありません。「小さな家」のネリーは、読者にアピールするよう、さらに意地悪な女の子に描かれています。
幼いワイルダーが人形に触らせてもらえなかったり、ザリガニとヒルでやり返したのは事実です。「小さな家」シリーズは、そんなワイルダーの実体験を発展させたもので、事実とフィクションが入り交じっています。
けれどもワイルダーも娘のレインも、「小さな家」はすべて本当のことだと主張していました。


それに関してヒルは興味深い指摘をしています。
「あるときワイルダーは、『私の書いたことはすべてほんとうの話ですが、it is not the whole truth』と述べています」

「it is not the whole truth」とは何を意味するのでしょうか? 
当時の状況や前後の文脈から判断して「本当にあったことを全部書いたわけではない」という意味でワイルダーは述べたと思われます。
けれども、 下書き原稿が公開されて原作との違いが明らかになった今、
「ほんとうのことをそのまま語ったわけではありません」
というワイルダーの声が二重音声になって聞こえてきます。


オーエン一家の写真はこちらから








2015年2月9日月曜日

PGH プラムクリークのクリスマス MN4

「プラムクリークの土手で」には三回クリスマスの話があります。一回目は、かあさんのクリスマスの話を聞いたローラとメアリが、とうさんに馬をお願いするクリスマス、二回目はオルデン牧師の教会で、ローラがケープとマフのプレゼントをもらったクリスマス、三回目は行方不明になったとうさんが、家に戻って来るクリスマスです。

「プラムクリークの土手で」では、インガルスはシルバーレイクに移住するまで、同じ土地で暮らしていますが、実在のインガルスはアイオワのバーオークに移住しています。「小さな家」シリーズではバーオークは割愛されているため、クリスマスの回数があいません。そこでワイルダーは、実際は一回目のオルデン牧師の教会のクリスマスを二回目にして、一回目のクリスマスの話を創り上げたとヒルは注釈で述べています。クリスマスの馬となったサムとデイビットは実在しましたが、クリスマスの馬ではありませんでした。

また、三回目のクリスマスも史実にヒントを得た創作です。下書きの「パイオニア・ガール」には吹雪に巻込まれた男性が穴をほってそのまま眠ってしまい、春になって発見された事件があります。その男性が誰なのか、どこで起きたかは触れていません。
けれども、ほかの版の「パイオニアガール」では、行方不明になった男性は近隣の住民で、インガルスの納屋の近くで発見されたとなっています。
そして「プラムクリークの土手で」では、行方不明になったのはとうさんで、インガルスの家のすぐ近くで数日間を過ごしてから、無事に家に戻って来たとなっています。

「パイオニア・ガール」では、何度も猛吹雪に襲われた、空をみて猛吹雪の前兆がわかるようになったなった、とうさんは家と納屋にロープを渡して、それにつかまりながら行き来した、ストーブのパイプから火の玉が転がりだして来てとうさんが電気だと教えてくれた、という記述があります。どこかできいたことのあるエピソードですよね。
ワイルダーはこれらのエピソードに手を加えて、「小さな家」シリーズで使っています。



2015年2月5日木曜日

PGH ハンソンさんの農場 MN

「プラムクリークの土手で」の第一章で、ハンソンさんの土地を手に入れたとうさんは、ハンソンさんの畑をみながら、「なぜ、あんなちっぽけな畑しか作らなかったのかわからないな」と話しています。「パイオニア・ガール」では、「その春には、わずかな作物しか植えられていませんでした」となっていて、ハンソンさんは登場しません。

「プラムクリークの土手で」も「パイオニア・ガール」も、第一章ではバッタの襲来を予想させるような記述はありません。けれども、その辺り一帯は、前年にバッタによる襲来がありました。ですから、ミネソタに移住したとき、インガルスはそれを知っていたはずです。

記録によると、以前、とうさんの手に入れた土地を申請した人は二人いましたが、どちらも途中で放棄していました。インガルスが移住したとき、畑にはわずかな作物しか植えられていませんでした。おそらく前の居住者が掘りおこした畑に、近隣の住民か不法にいすわっていた人が菜園をやっていたのだろう、わずかな作物しか採れなかったのは、前年のバッタの襲来のせいだろうとヒルは推測しています。

けれどもワイルダーは、「プラムクリークの土手で」にハンソンさんという創作上の人物を登場させて、とうさんに上記のセリフを言わせていました。



2015年2月4日水曜日

PGH つららと罪の意識 MN


ミネソタへの移住の途中、インガルスとピーターおじさん一家は、しばらく空き家に滞在していました。そのときのローラの体験は「プラムクリークの土手で」のある創作エピソードの基になっています。


 ある晩、寝つかれずにいたローラは、暗闇のなかでちらちら動く暖炉の火を眺めながら、とうさんのバイオリンの音色に耳をすましていると、忘れようとしていた大きな森の想い出が浮かんできました。
ある春先に、ローラは軒先のつららを壊して、落ちて来たつららを食べて遊んでいました。かあさんに「もういいかげんにしなさい」といわれたのでやめたのですが、ひとつだけ、とってもおいしそうなのがありました。つい誘惑に負けたローラは、とっさに口に入れて、何食わぬ顔で家に入りました。怪しんだかあさんは、「つららを食べているの?」と聞きましたが、ローラはゴクリと飲み込んで、「う、ううん」と答えました。人生初のウソでした。お腹に入ったつららは、ものすごく冷たかったそうです。
ウソを信じたかあさんを見て、ローラは罪の意識にさいなまれ、その日はおとなしくしていましたが、翌日になるとすっかり忘れてしまいました。

ところが、その晩、罪の意識が戻って来たのです。とうさんのバイオリンの音色も、クリークのせせらぎも、暖炉の火も、何もかも美しいのに、ローラだけが嘘つきで仲間はずれでした。のどが詰まり、胸が苦しくなって、ローラはとうとう泣き出してしまいました。急いでベッドに来てくれたかあさんに何もかも話してしまうと、ローラは気持が楽になり、神さまにお祈りをしてから眠りにつきました。

このエピソードは「プラムクリークの土手で」の、「きみょうな動物」の章を思い起こさせます。とうさんとの約束をやぶって、クリークへ行こうとしたローラが罪の意識にさいなまれ、告白するくだりです。この二つのエピソードはとてもよく似ています。

「きみょうな動物」の章のエピソードは創作です。でも、「ワイルダーの実体験や感情から引き出されたもので、それに手を加えることによって深みを与えている」とヒルは記しています。
 
ただし、ワイルダーがきみょうな動物にあったのは事実です。でも、そのときはかあさんと一緒でした。「小さな家」のかあさんだったら、見たこともない動物 に出あったら手を出さないと思いますけど、「パイオニアガール」のかあさんは、棒でつっついていました。何かイメージが違って笑っちゃいます。

2015年2月3日火曜日

PGH ミネソタへ &エラの奮闘 MN

「小さな家」シリーズでは、インガルスは彼らだけでカンザスからミネソタへ移住していますが、実際はウィスコンシンからピーターおじさん一家と共に旅立ちました。 いとこのエラたちも一緒です。
旅の途中でローラは五歳の誕生日を迎えて、とうさんは「ちいさな花」という詩集を贈ってくれました。五歳となっていますが実際は七歳で、「パイオニア・ガール」では実年齢との食い違いがしばしば見られます。回想録には日付はなく、季節の移り変わりや誕生日で時間が過ぎて行きます。

一行は空き家になっていたクリーク沿いの家でしばらく過ごしました。あやまって窓から落ちたら、クリークに落ちてしまうくらい水際に建てられた家で、ローラはいとこたちと魚をとったりして楽しい時間を過ごしました。
そんなある日、ローラは具合が悪くなり、どうしようもないくらい耳が痛くなって、我慢出来ずに泣いていました。メアリやいとこたちも同情して一緒に泣いてくれました。
そんなとき、イライザおばさんがもらしました。
「黒羊の毛を詰めると直るんだけどねえ」
耳の痛みに黒羊の毛が効くというのは、当時の民間療法でした。
すると、いとこのエラは何も言わずに一目散に走り出し、どこかへいったかと思うと、両手いっぱいの黒羊の毛を持って帰ってきたのです。皆が驚いていると、エラが言いました。

「あたし、原っぱに黒羊がいるの前に見たことあったから、探しにいったの。その羊、あたしの方を向いて、足を踏みならしてすごく怖かった。でも、ローラの耳を直したかったから向かって行って、両手で毛をわしづかみしたまま悲鳴をあげたんだ。そうしたら羊のやつ、すっとんで逃げてった」

ローラがゲラゲラ笑っている間、かあさんが耳に毛を詰めてくれると、耳の痛みはおさまったそうです。

エラのお墓はこちらから

2015年2月2日月曜日

PGH クラレンスとアンナ・バリー先生 WI

「小さな家」シリーズでは、ローラが初めて学校に行ったのはプラムクリークでしたが、実際はウィスコンシンに居たときに通っていて、「パイオニア・ガール」にはそのときの様子が描かれています。
 
ある日、ローラはメアリと一緒にお弁当をもって学校へ行きました。学校にはいとこのルイーザとチャーリーや、ヒューレット家のエヴァとクラレンスも来ていました。
エヴァとクラレンスは、「大きな森の小さな家」の「夏の日」に登場します。クラレンスは金のボタンのついた青い上下の服を着た男の子で、ローラと木登りをして遊びました。

学校は楽しかったようですが、校庭で走っている最中にローラは転んでしまい、白い服に草のしみがついて泣き出してしまいました。そんなローラにメアリは、「かあさんがなおしてくれるわよ」と声をかけています。「パイオニア・ガール」には、メアリの優しさがそれとなく描かれています。

親同士が親しかったこともあり、ローラたちはクラレンスたちとよく遊びました。ローラとクラレンスは気があったようで、母親たちは「ひょっとしたら将来二人は・・・」と噂しているのをローラは耳にしています。他の版では十代の頃、ローラはクラレンスと手紙を交わしていたという記述があります。
注釈者のヒルは、「大きな森の小さな家」でワイルダーは、親戚以外の人たちをなるべく登場させないようにしていたが、クラレンスへの好意から、ヒューレットの家族を描いたのではと推測しています。

クラレンス&エヴァ・ヒューレットの父親トーマスは、アイルランドからの移民で、母親のマリアはペンシルベニア出身でした。クラレンスはローラよりも一才年上で、エヴァはキャリーぐらいの年齢でした。ですから、エヴァが学校のシーンに登場するのは不思議な気もします。
クラレンスは西部に移住して、ハードウェアの商売にたずさわり、一九四九年にアリゾナで亡くなりました。エヴァは結婚してイリノイに移りました。


ローラとメアリの先生はアン・バリー、またはアナ・バリー(Ann, or Anna Barry)は二十三歳の独身の女性で、両親と十代の弟と一緒に暮らしていました。「パイオニアガール」にはバリー一家にまつわる興味深い話があります。
彼女の父親、バリー大尉は南北戦争から戻った時に「ニグロの男の子」を連れて来た、彼は「バリー大尉のニガー」と呼ばれていて、ローラが学校に行ったとき、彼が遠くから子どもたちを笑いながら眺めていた、と書かれています。

ワイルダーは「ニガー」といった差別語を自分自身では使わなかったが、「その当時は広く使われていた」と述べていたと注釈があります。さらにヒルは、現在では差別語だが、一八七○年代ではよく使われていたと書き添えています。二重に書き添えているのはクレームを意識しているのでしょうか?

 その黒人の男の子が誰だったのかは謎のようです。一八七○年の国勢調査によると、バリー先生の父親のジェームス・バリー(James Barry)は二人の子どものいる農夫で、テネシー出身の十四歳の雇い人がいると記録されていますが、その子は白人と記されています。
べつの記録では、ジェームス・ベリー大尉(Captain James "Berry", "Barry"ではない) は南北戦争でテネシーの周辺へ行っているので、雇い人を連れて来た可能性があるが、ジェームス・バリーとジェームス・ベリーが同一人物かどうかはわからないと注釈にはあります。

カンザスで病気になった時に見てくれたタン先生も黒人でした。バイ版の「パイオニアガール」では、それまでローラは黒人をみたことがなかったので、タン先生を見たとき怖かったという記述があります。でも、すでにワイルダーはペピンで黒人と接触があったようですね。


アナ・バリーの写真はこちらから



2015年2月1日日曜日

PGH 学校と読み書き WI

「小さな家」シリーズでは、ローラとメアリはプラムクリークではじめて学校に通い、二人はかあさんのとっておいた読本で勉強しました。ローラはその学校で読み書きを習い、ようやく読めるようになったとなっています。

でも、「パイオニアガール」では、メアリもローラもペピンで通っています。最初はメアリだけで、幼いローラは通わせてもらえませんでした。メアリが新しいお弁当箱と新しい読本をもって学校へ行ってしまうと、ローラはさみしかったようです。 キャリーは幼すぎて遊び相手にならなかったので。
でも、メアリはローラのために、いつも少しだけお弁当をとっておいてくれて、 その日に習ったことを教えてくれたので、じきにローラも読めるようになりました。
ところがある日、「ローラは食い意地がはっています」という一節をある物語で見つけたとき、ローラはすごくショックを受けました。かあさんが「これは別のローラの話よ」と説明しても立ち直れなかったそうです。

注釈者のヒルは、ペピンの学校のエピソードを「小さな家」に入れなかったのは、外界との関係を絶って、家族の絆や自給自足に近い生活を強調するためだっただろうと見ています。

「小さな家」シリーズの後半では、メアリは優しくて穏やかな女性に描かれています。お弁当を残しておいてくれたり、読み書きを教えてくれるなど、「パイオニアガール」のちょっとした記述から、そんなメアリの 片鱗がうかがえます。それにしても、立ち上がれないくらいショックを受けたなんて、ローラはかなり繊細なところもあったんですね。