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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2015年2月16日月曜日

PGH バッタの救済と出稼ぎ MN8

インガルスがミネソタへ移住した一八七四年、ミネソタ南西部がバッタに襲われ、多くの人々が出稼ぎに行かなければならなくなりました。とうさんもその一人でした。ウォルナットグローブには鉄道が通っていましたが、多くの人々が運賃を払えないため乗車できず、ある人はミネソタ知事に、取り計らってくれるよう直訴しています。
下書きの「パイオニア・ガール」では、 「とうさんは外套を肩にかけて歩いて行った」、バイ版では「切符が買えないので歩いて行った、馬を飼っておく余裕もなかった、馬を売ったわずかなお金がかあさんに残された」となっています。

下書きの「パイオニア・ガール」では、「とうさんから幾度か手紙が来てお金も送られて来た」とシンプルに記してあるだけで、「プラムクリークの土手で」のように、かあさんがブルブル震えながら封を切ったり泣き出すくだりはありません。

実在のインガルスは生活に困窮していたため、一八七五年十一月末、政府の救済制度に申請して、五ドル二十五セント相当の小麦粉を受け取っていました。ヒルは「ワイルダーは幼かったので、気づいていなかったのでは」と推測 しています。
でも、ほんとうにローラはきづいていなかったのでしょうか? 

「プラムクリークの土手で」でも、下書きの「パイオニアガール」でも、バッタの襲来後、とうさんは翌年のためにわずかながらの小麦をまいていました。これも政府からの配給の種麦らしい、とヒルは「パイオニアガール」の記述から推測しています。記述から推測したというなら、それを書いたワイルダーは配給種麦について知っていたはずです。だったら、配給小麦についても知っていてもおかしくないと思うのですが。

 インガルスはメアリの盲学校進学にあたり、政府から財政的な支援を受けていました。今回の調査で、バッタの救済支援を申請していたことも明るみに出ました。保守派のワイルダー研究者や、福祉政策に反対するティーパーティは、政府に頼らない「小さな家」シリーズの独立自尊の精神を賞讃してきました。彼らはこの事実をどう受け止めるのでしょう?そして、政府の援助を受けていたワイルダーは、なぜ事実を隠してまで、「小さな家」のインガルスの独立を強調しようとしたのでしょうか?

 オバマ政権下の、保守派による「小さな家」の捉え方は下記をご覧下さい。
オバマ政権下の「小さな家」