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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2014年2月20日木曜日

PG36 芝土の家

インガルスがデ・スメットで建てた開拓小屋は木造ですが、デ・スメットのような森や林のない大草原では、芝土の家が一般的でした。芝のびっしりとからみついた土をブロック状に伐り出して積み上げたもので、室内が暗いのが難点ですが、冬は暖かく、夏は涼しかったようです。デ・スメットのインガルスの納屋は芝土で出来ていました。


「パイオニアガール」にはその芝土の家の作り方が記されていて、当時のダコタで、よくうたわれていた歌がそれに続いています。
 大草原では、竜巻、野火、吹雪、バッタ、野性動物、泥棒、殺人、詐欺、借金といった、ありとあらゆる難題に直面しましたが、その一つに孤独がありました。人と滅多に会わずに風の吹きすさぶ大草原に暮らしているうちに、精神を病む人も少なくありませんでした。
その歌は、 孤独な大草原の芝土の家で、厳しい現状を受け入れて、懸命に生きようとする人々の心情を歌ったもので、ユーモラスに自嘲的に歌っているだけに、感じ入るものがあります。
音楽家が作ったのではなく、人々の間で自然に歌われるようになった感じがします。
 ワイルダーは、「開拓魂とはユーモアと明朗さ」といっていました。この歌にはその開拓魂があふれています。こういう歌をうたえる人々だけが、西部で生き残れたのでしょう。


長い冬の間、インガルスは干し草の棒をよじって暖をとりました。その歌には干し草の棒も出てくるので、ひょっとしたら、この歌は出版作品でも使われているのかもしれません。
もしそうなら m(_ _)m。


芝土の家の写真はこちらでみられます。