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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2015年3月31日火曜日

PGH トレーシーのホテルで DK1

とうさんが鉄道の仕事を得てダコタへ行った後、かあさんと娘たちは荷造りをして、すべてを売り払い、とうさんが送って来てくれた小切手で汽車の切符を買って、トレーシーへ向かいました。

初めて汽車にのってダコタへ向かうとき、「私たちは再び、最高の幸せをもたらしてくれる方角へ乗り出すのです」とワイルダーは述べています。

 「シルバーレイクの岸辺で」では、キャリーとローラが転車台をみたり、トレーシーのホテルでインガルスは他の客と一緒に食事をしたとなっていますが、「パイオニアガール」ではそのシーンはありません。それにトレーシーのホテルは、手入れもされず、流行っていませんでした。

ホテルのご主人によると、かつては彼の妻と妻の妹がホテルを切り盛りしていたそうです。そのご主人と妻、幼い双子の息子たち、妻の妹と恋人で馬車のドライブに出かけとき、雷落雷に遭い、生き残ったのはご主人と幼い双子の息子たちだけで、ご主人には身体に麻痺が残り、幼い息子たちも、しばらくは遊ぼうともしなかったそうです。雷の落ちた金時計には、穴があいて、中は融けていました。落雷の話は、「この楽しき日々」の竜巻に巻き上げられた男の子の話を彷彿させます。

かあさんたちは、とうさんとそのホテルで落ち合い、翌朝、朝食をとってから、とうさんの荷馬車でハイおじさんのいる鉄道のキャンプへと向かいました。


新しい仕事が決まったら、パッと何もかも売り払って、違う土地に移るインガルスの身軽さは羨ましいです。でも、かあさんは出来ることなら、落ち着いた生活がしたかったのでしょうね。