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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2015年2月26日木曜日

PGH はしかとしょう紅熱 IW2

バーオークに移ったインガルスは、ホテルの経営にたずさわりました。ウォルナットグローブからの知り合いのステッドマン夫妻との共同経営でした。夫妻にはジョニーとルーベンという二人の男の子がいましたが、良い遊び相手ではありませんでした。とくにジョニーは生まれつき足が悪かったので甘やかされていたからです。
学校から帰ると、ローラとメアリはお皿を洗ったり給仕をしてかあさんを手伝い、ステッドマンの奥さんに頼まれて、面倒なトミー・ステッドマンのお守りもしました。お守りをしてくれたら、クリスマスのプレゼントをくれると約束したからです。


でも、クリスマスはがっかりでした。とうさんもかあさんも忙しくて、ステッドマンの奥さんはプレゼントをくれなかったからです。おまけにクリスマスのあと、 ローラとメアリとルーベンは、はしかになってしまいました。二人がおとなしく寝ていると、ジョニーがこっそりやってきて、枕を引き抜いたりつねったりしました。そのうちジョニーもひどいはしかになってしまい、ローラは嬉しかったと綴っています。

一八七六年の秋にはしかが流行して、ワクチンのなかった当時、肺炎や下痢などを併発しました。「シルバーレイクの岸辺で」の執筆中、ワイルダーはメアリの失明について、「完治しなかったはしかが原因だ」とレインに説明していました。

けれども、原作ではしょう紅熱になっています。何かで読んだのですが、当時、しょう紅熱はよくみられた病気なので、子どもでもわかりやすいように変えたのではと、その執筆者は推測していました。

現代医学では、はしかや猩紅熱が原因で失明することはないとされています。メアリの失明は脳炎によるものだと専門家は結論づけています。

 その専門家は、たしか三〜四人の小児科医のチームだったと思います。 なぜ、彼女たちがメアリの病気の原因を調べようとしたのかは、しょう紅熱にありました。
病気の子どもを診察して、子どもの親に「しょう紅熱です」と告げると、メアリの失明を思い出して、子どもが失明すると思ってパニックになる親が多かったそうです。しょう紅熱で失明することはないと説明しても、不安をぬぐいきれない親が多かったのでしょう。そこでチームを組んで、きちんとメアリの失明の原因を探ったそうです。

アメリカにおける「小さな家」のインパクトは、大きなものがあるのですね。



2015年2月22日日曜日

PGH リード先生 IW1

バッタの襲来に遭ったインガルスはウォルナットグローブを去り、バーオークに移住して、ホテルに経営にたずさわりました。

バーオークでローラたちが通った学校の校長先生はウィリアム・リードという男の先生で、「パイオニアガール」では二十一歳となっていますが、実際は十六歳でした。
リード先生は一八六十年にアイオワで生まれ、教育免許を取得してまもなく、バーオークで二年あまり教えました。新米の先生でしたが、とても良い先生だったと記録が残っています。その後、アイオワの別の学校で教えてから、一八八三年にダコタ・テリトリーへ移住。そして、アイオワに戻ると教え子の一人と結婚して、九十二歳でミネソタで亡くなりました。
リード先生は想い出深い先生だったようで、晩年ワイルダーは先生に教えてもらったことを感謝していると、あるエッセイに綴っています。

リード先生のお墓の写真はこちらから

「パイオニアガール」には、そのリード先生が生徒の一人を学校から追い出す話があります。農閑期には、学校にケンカ好きの連中がやってきて、クリスマスまでに先生を追い出すと公言していた、なかでも手がつけられないほどワルだったのが、モーゼだった、
ある日、彼らはそろって遅刻して来て、授業を妨害しはじめた、リード先生がモーゼに前に来るようにいうと、ケンカする気満々で先生の前にたった彼を、先生はすばやく自分の膝に倒して、幼い子どもにするように、ものさしでお尻をペンペンした、
教室は笑いの渦となり、笑い者となったモーゼは二度と学校に戻ってこなかった、他の連中も寄りつかなくなり、教室は静かになった、モーゼの噂は村中に知れ渡り、モーゼはバーオークからも出て行ったという話です。

ワイルダーの夫アルマンゾの少年時代を描いた「農場の少年」には、アルマンゾの先生だったコアーズ先生が、授業を妨害する生徒を鞭でたたきのめして追い出す話があります。その生徒は学校に来なくなり、悪さをするほかの連中も来なくなって学校が静かになったというエピソードで、リード先生の話と良く似ています。
ヒルは「こういう話はよくあったので、ワイルダーは自分の体験を「農場の少年」に使ったのではないか」と推測しています。

2015年2月16日月曜日

PGH バッタの救済と出稼ぎ MN8

インガルスがミネソタへ移住した一八七四年、ミネソタ南西部がバッタに襲われ、多くの人々が出稼ぎに行かなければならなくなりました。とうさんもその一人でした。ウォルナットグローブには鉄道が通っていましたが、多くの人々が運賃を払えないため乗車できず、ある人はミネソタ知事に、取り計らってくれるよう直訴しています。
下書きの「パイオニア・ガール」では、 「とうさんは外套を肩にかけて歩いて行った」、バイ版では「切符が買えないので歩いて行った、馬を飼っておく余裕もなかった、馬を売ったわずかなお金がかあさんに残された」となっています。

下書きの「パイオニア・ガール」では、「とうさんから幾度か手紙が来てお金も送られて来た」とシンプルに記してあるだけで、「プラムクリークの土手で」のように、かあさんがブルブル震えながら封を切ったり泣き出すくだりはありません。

実在のインガルスは生活に困窮していたため、一八七五年十一月末、政府の救済制度に申請して、五ドル二十五セント相当の小麦粉を受け取っていました。ヒルは「ワイルダーは幼かったので、気づいていなかったのでは」と推測 しています。
でも、ほんとうにローラはきづいていなかったのでしょうか? 

「プラムクリークの土手で」でも、下書きの「パイオニアガール」でも、バッタの襲来後、とうさんは翌年のためにわずかながらの小麦をまいていました。これも政府からの配給の種麦らしい、とヒルは「パイオニアガール」の記述から推測しています。記述から推測したというなら、それを書いたワイルダーは配給種麦について知っていたはずです。だったら、配給小麦についても知っていてもおかしくないと思うのですが。

 インガルスはメアリの盲学校進学にあたり、政府から財政的な支援を受けていました。今回の調査で、バッタの救済支援を申請していたことも明るみに出ました。保守派のワイルダー研究者や、福祉政策に反対するティーパーティは、政府に頼らない「小さな家」シリーズの独立自尊の精神を賞讃してきました。彼らはこの事実をどう受け止めるのでしょう?そして、政府の援助を受けていたワイルダーは、なぜ事実を隠してまで、「小さな家」のインガルスの独立を強調しようとしたのでしょうか?

 オバマ政権下の、保守派による「小さな家」の捉え方は下記をご覧下さい。
オバマ政権下の「小さな家」