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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2015年5月13日水曜日

PGH 干し草作り DK9

「長い冬」には、とうさんの干し草作りを手伝って良いか、ローラがかあさんに尋ねるくだりがあります。アメリカの女は畑仕事はしない、畑仕事をするのは外国人の女だけなので、畑仕事をして欲しくなかったけれども、とうさんが人手が必要なので、かあさんはしぶしぶ許可しています。
ところが、「パイオニアガール」では、ローラもかあさんも、とうさんの干し草作りを手伝っています。「長い冬」と「パイオニアガール」のかあさんには、大きな違いがみられます。


「大草原の小さな家」のかあさんは、丸太小屋を作る手伝いをするなど、伝統的な女性の仕事以外の仕事をこなしています。それなのに、なぜ「長い冬」のかあさんは躊躇しているのでしょう? 
変更の理由は明確ではないとしながらも、「畑仕事をするのは外国人の女だけだ」という記述によって、ワイルダーは開拓地の社会の在り方を描き、慣習にとらわれずに成長するローラを描きたかったのではないか、とヒルは推測しています。
けれども、当時、ヨーロッパ系アメリカ人の女性も、ヨーロッパ系移民の女性も、必要にかられて、あるいは自らの意志で、本来、男性の仕事とされる畑仕事に携わっていた、とも書き添えています。


また、「長い冬」では干し草の棒をよるのは、とうさんとローラだけですが、「パイオニアガール」では、かあさんもよっています。ワイルダーは干し草の棒は、厳しい冬を乗り切るためにあみ出された知恵だったように描いていますが、それ以前から、草原地方では使われていました。


原書の「長い冬」では、「外国人」はforeignersとなっています。初めて「長い冬」を読んだとき、この外国人というのがわかりませんでした。移民を指すと気づいたのはかなり経ってからです。昔、移民は外国人で、アメリカ人とみなされず、そういう意識が言葉に反映されているのかもしれません。最近はimmigrantという言葉を使います。今、移民をforeignerと呼んだら、差別という声があがって問題になる気がします。


「小さな家」のかあさんは、菜園を切り盛りしているから畑仕事をしていると思うかもしれません。でも、開拓時代、菜園は女性の仕事とされ、男性の畑仕事とは別と考えられていました。


「シルバーレイクの岸辺で」には、コットンウッドの若木を植える話があります。でも、「パイオニアガール」では若木ではなく、種をまいています。コットンウッドは成長が早いので、草原地方ではよく植樹されまた。かつてインガルスの開拓農地だった場所にコットンウッドの樹があって、ワイルダー協会はインガルスが植えたものと紹介していますが、アメリカ人のファンの間では疑問の声もあがっています。

2015年5月7日木曜日

PGH オルデン牧師 DK8

「シルバーレイクの岸辺で」でも「パイオニアガール」でも、ローラとメアリを「私の村娘たち」と呼んでかわいがってくれたオルデン牧師は、ある雪の日、ダコタ・テリトリーでインガルスと偶然、再会します。

エドウィン・オルデンは、1836年にバーモントに生まれ、ダートマス大学卒業後、メイン州の神学校へ進みました。アメリカ伝道協会に任命されて、1860年にはニューオリンズで、奴隷から解放された人々のための学校で働き、南北戦争後はバーモントへ戻って牧師になりました。その後、アメリカンホーム伝道協会から教会を創設するためにミネソタへ派遣され、1870年までにウォルナットグローブから百マイルほど離れたワセカに、妻のアナと三才の息子ジョージと暮らしていました。「プラムクリークの土手で」に描かれているように、オルデン牧師はウォルナットグローブやスリーピイアイなどの各地を廻って、礼拝を行っていました。


「パイオニアガール」によると、そのオルデン牧師がデ・スメットに教会を創設するためにやってくると、権限のないブラウン牧師が創設に取りかかっていたため、スキャンダルを避けるために、すべてをブラウン牧師にまかせて、デ・スメットをあとにしました。


 1885年の調査では、エドウィン・オルデンはデ・スメットから七十マイルほど北西にある町で、16歳の学生と共に暮らしていました。妻も子どももリストには記載されていません。けれども、1900年までにバーモントに戻って聖職につき、再婚しています。それから十年後に妻と娘と三人で、バーモント州のチェスターに移り、その一年後に七五歳で他界しました。



2015年5月1日金曜日

PGH ブラウン牧師 DK7

ホイト医師の例にもれず、医師のモラルが問われるのは、どこの国でもいつの時代でも変わりません。それは聖職者にも言えるようです。


ローラとアルマンゾの結婚式をあげたのは、ブラウン牧師でした。「小さな家」の中でワイルダーはブラウン牧師を好ましい人物に描いていませんが、「パイオニアガール」でも品がない、粗野だ、髪はぼさぼさ、爪も真っ黒で不潔だと、辛辣に描いています。


その理由の一つが、ブラウン牧師の嘘言にありました。彼がデ・スメットにやってきたとき、オルデン牧師からの紹介状を持っていて、この地で教会を組織するためにやって来た、と話していました。とうさんもかあさんも、オルデン牧師があんな人を寄越すはずがないと思いながらも、オルデン牧師の手紙を持っているので、組合教会と日曜学校の設立に協力しました。

ところがある日、そのオルデン牧師がデ・スメットに教会を組織するために現れたのです。オルデン牧師の話によると、ブラウン牧師が西部に開拓農地の申請に行くと聞いたので、親切心からとうさん宛に紹介状を書いただけで、ブラウン牧師はすでに退職しているので教会を組織する権限はありませんでした。
 けれども、オルデン牧師はことを荒立てたくないと、ブラウン牧師の好きにさせてデ・スメットを後にしました。

エドワード・ブラウンは、妻のローラ、養女のアイダと共にデ・スメットに移住して、1880年6月に第一組合教会を設立しました。学校の教師、弁護士を経て牧師となり、ウィスコンシン、オハイオ、ミネソタの教会を受け持ってからダコタへ移住。移住した当時、彼は六十五歳で、その四年後に退職して、1895年に亡くなりました。彼は奴隷廃止論者で処刑されたジョン・ブラウンのいとこだと言っていたそうです。

「小さな家」シリーズでも「パイオニアガール」でも、ローラはブラウン牧師の養女だったアイダと親しくしていました。でも、「パイオニアガール」では、ブラウン牧師とブラウン夫人のことを嫌いだと、はっきりと述べています。ブラウン夫人は教会関係の執筆活動をしていたこともあり、あまり家のことや身なりをかまわなかったようで、ワイルダーはあるエッセイに、ブラウン夫人のだらしなさについて書いています。


ブラウン牧師の墓はこちらから