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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2015年2月3日火曜日

PGH ミネソタへ &エラの奮闘 MN

「小さな家」シリーズでは、インガルスは彼らだけでカンザスからミネソタへ移住していますが、実際はウィスコンシンからピーターおじさん一家と共に旅立ちました。 いとこのエラたちも一緒です。
旅の途中でローラは五歳の誕生日を迎えて、とうさんは「ちいさな花」という詩集を贈ってくれました。五歳となっていますが実際は七歳で、「パイオニア・ガール」では実年齢との食い違いがしばしば見られます。回想録には日付はなく、季節の移り変わりや誕生日で時間が過ぎて行きます。

一行は空き家になっていたクリーク沿いの家でしばらく過ごしました。あやまって窓から落ちたら、クリークに落ちてしまうくらい水際に建てられた家で、ローラはいとこたちと魚をとったりして楽しい時間を過ごしました。
そんなある日、ローラは具合が悪くなり、どうしようもないくらい耳が痛くなって、我慢出来ずに泣いていました。メアリやいとこたちも同情して一緒に泣いてくれました。
そんなとき、イライザおばさんがもらしました。
「黒羊の毛を詰めると直るんだけどねえ」
耳の痛みに黒羊の毛が効くというのは、当時の民間療法でした。
すると、いとこのエラは何も言わずに一目散に走り出し、どこかへいったかと思うと、両手いっぱいの黒羊の毛を持って帰ってきたのです。皆が驚いていると、エラが言いました。

「あたし、原っぱに黒羊がいるの前に見たことあったから、探しにいったの。その羊、あたしの方を向いて、足を踏みならしてすごく怖かった。でも、ローラの耳を直したかったから向かって行って、両手で毛をわしづかみしたまま悲鳴をあげたんだ。そうしたら羊のやつ、すっとんで逃げてった」

ローラがゲラゲラ笑っている間、かあさんが耳に毛を詰めてくれると、耳の痛みはおさまったそうです。

エラのお墓はこちらから

2015年2月2日月曜日

PGH クラレンスとアンナ・バリー先生 WI

「小さな家」シリーズでは、ローラが初めて学校に行ったのはプラムクリークでしたが、実際はウィスコンシンに居たときに通っていて、「パイオニア・ガール」にはそのときの様子が描かれています。
 
ある日、ローラはメアリと一緒にお弁当をもって学校へ行きました。学校にはいとこのルイーザとチャーリーや、ヒューレット家のエヴァとクラレンスも来ていました。
エヴァとクラレンスは、「大きな森の小さな家」の「夏の日」に登場します。クラレンスは金のボタンのついた青い上下の服を着た男の子で、ローラと木登りをして遊びました。

学校は楽しかったようですが、校庭で走っている最中にローラは転んでしまい、白い服に草のしみがついて泣き出してしまいました。そんなローラにメアリは、「かあさんがなおしてくれるわよ」と声をかけています。「パイオニア・ガール」には、メアリの優しさがそれとなく描かれています。

親同士が親しかったこともあり、ローラたちはクラレンスたちとよく遊びました。ローラとクラレンスは気があったようで、母親たちは「ひょっとしたら将来二人は・・・」と噂しているのをローラは耳にしています。他の版では十代の頃、ローラはクラレンスと手紙を交わしていたという記述があります。
注釈者のヒルは、「大きな森の小さな家」でワイルダーは、親戚以外の人たちをなるべく登場させないようにしていたが、クラレンスへの好意から、ヒューレットの家族を描いたのではと推測しています。

クラレンス&エヴァ・ヒューレットの父親トーマスは、アイルランドからの移民で、母親のマリアはペンシルベニア出身でした。クラレンスはローラよりも一才年上で、エヴァはキャリーぐらいの年齢でした。ですから、エヴァが学校のシーンに登場するのは不思議な気もします。
クラレンスは西部に移住して、ハードウェアの商売にたずさわり、一九四九年にアリゾナで亡くなりました。エヴァは結婚してイリノイに移りました。


ローラとメアリの先生はアン・バリー、またはアナ・バリー(Ann, or Anna Barry)は二十三歳の独身の女性で、両親と十代の弟と一緒に暮らしていました。「パイオニアガール」にはバリー一家にまつわる興味深い話があります。
彼女の父親、バリー大尉は南北戦争から戻った時に「ニグロの男の子」を連れて来た、彼は「バリー大尉のニガー」と呼ばれていて、ローラが学校に行ったとき、彼が遠くから子どもたちを笑いながら眺めていた、と書かれています。

ワイルダーは「ニガー」といった差別語を自分自身では使わなかったが、「その当時は広く使われていた」と述べていたと注釈があります。さらにヒルは、現在では差別語だが、一八七○年代ではよく使われていたと書き添えています。二重に書き添えているのはクレームを意識しているのでしょうか?

 その黒人の男の子が誰だったのかは謎のようです。一八七○年の国勢調査によると、バリー先生の父親のジェームス・バリー(James Barry)は二人の子どものいる農夫で、テネシー出身の十四歳の雇い人がいると記録されていますが、その子は白人と記されています。
べつの記録では、ジェームス・ベリー大尉(Captain James "Berry", "Barry"ではない) は南北戦争でテネシーの周辺へ行っているので、雇い人を連れて来た可能性があるが、ジェームス・バリーとジェームス・ベリーが同一人物かどうかはわからないと注釈にはあります。

カンザスで病気になった時に見てくれたタン先生も黒人でした。バイ版の「パイオニアガール」では、それまでローラは黒人をみたことがなかったので、タン先生を見たとき怖かったという記述があります。でも、すでにワイルダーはペピンで黒人と接触があったようですね。


アナ・バリーの写真はこちらから



2015年2月1日日曜日

PGH 学校と読み書き WI

「小さな家」シリーズでは、ローラとメアリはプラムクリークではじめて学校に通い、二人はかあさんのとっておいた読本で勉強しました。ローラはその学校で読み書きを習い、ようやく読めるようになったとなっています。

でも、「パイオニアガール」では、メアリもローラもペピンで通っています。最初はメアリだけで、幼いローラは通わせてもらえませんでした。メアリが新しいお弁当箱と新しい読本をもって学校へ行ってしまうと、ローラはさみしかったようです。 キャリーは幼すぎて遊び相手にならなかったので。
でも、メアリはローラのために、いつも少しだけお弁当をとっておいてくれて、 その日に習ったことを教えてくれたので、じきにローラも読めるようになりました。
ところがある日、「ローラは食い意地がはっています」という一節をある物語で見つけたとき、ローラはすごくショックを受けました。かあさんが「これは別のローラの話よ」と説明しても立ち直れなかったそうです。

注釈者のヒルは、ペピンの学校のエピソードを「小さな家」に入れなかったのは、外界との関係を絶って、家族の絆や自給自足に近い生活を強調するためだっただろうと見ています。

「小さな家」シリーズの後半では、メアリは優しくて穏やかな女性に描かれています。お弁当を残しておいてくれたり、読み書きを教えてくれるなど、「パイオニアガール」のちょっとした記述から、そんなメアリの 片鱗がうかがえます。それにしても、立ち上がれないくらいショックを受けたなんて、ローラはかなり繊細なところもあったんですね。